僕な、昭和の後半生まれでな。「24時間戦えますか〜」を、冗談やなく本気で知っとる世代や。(当時8歳やけどな笑)
栄養ドリンクのCM見て、ちょっと胸が熱くなってしもた口やな。今やったら炎上もんやろうけど、当時はあれが空気やった。
頑張るのが当たり前、踏ん張るのが美徳、しんどい顔は見せたらあかん、みたいなな。
でな、こう言うとややこしいんやが、僕自身は「自分はガンバリズムや」って思ったこと、あんまりないねん。
むしろ逆で、「普通のことしかしてへんやろ」くらいの感覚で生きてきた。
勉強するのも、調べるのも、考えるのも、なんというか……やらんほうが気持ち悪いだけやった。
周りからはよう言われたで。「努力家ですね」「意識高いですね」「頑張ってますね」って。ありがたい話やけど、正直ピンと来えへん。
なんでか言うたらな、本人の中では「頑張ってる」という自覚がほぼ無いからや。
理由は単純でな。商売でも仕事でも、失敗したくないだけやねん。
ビタ一文、損したくない。時間も、金も、信用もや。
せやから事前に調べるし、考えるし、備える。それを他人から見たら「必死」「努力」「頑張り」に見えるだけの話で、本人は「保険かけてる」くらいの感覚なんよ。
ここで、ちょっと立ち止まって考えてみてほしいんやが、「努力」って誰の言葉やと思う?これな、本人の言葉やない場合がほとんどや。
努力いうのは、だいたい他人が貼るラベルか、あとから振り返った時に付ける名前や。
渦中におる本人は、そんな余裕あらへん。ただ「必要やからやってる」だけや。
せやのに、世の中ではな、「努力が報われる」とか、「頑張ればいつか評価される」とか、えらい取引っぽい言い方が横行しとる。
これがまた、ガンバリズムをややこしくしてる原因やと思うねん。頑張ったら何かもらえる、みたいな期待を知らん間に刷り込まれる。
ほんまはな、努力いうのは保証書ちゃう。成功確定ガチャでもない。ただの準備や。確率を上げるための地味な仕込みや。
それ以上でも以下でもない。
それをな、順番も考えずに振り回すと、一気に不毛になる。
頑張るいう言葉が一番ややこしくなるのはな、「そこ、まだ頑張る段階ちゃうで?」いう場所で全力を出してしもた時やと思うねん。
これ、本人は必死やのに、相手からしたら「なんでそこで力んでるん?」ってなるやつや。
分かりやすい例が、恋愛やな。ちょっと生々しいけど、ようある話や。
相手の女性から見て、まだ「選択肢」にすら入ってへん状態。言うたら、試合のベンチにも座れてへん。
そんな段階で、毎日長文LINE送ったり、サプライズしたり、自己犠牲アピール全開で頑張る。
結果どうなるか。感動、やなくて、だいたい「重い」「怖い」「めんどくさい」や。
これ、冷たい話でも残酷な話でもない。ただの順番の話や。
相手が見てるのはまず、「安心できるか」「普通に会話できるか」「一緒にいて疲れへんか」みたいな、土俵に上がるための最低条件や。
その条件を満たしてへんうちの頑張りは、努力やなくてノイズになることが多い。
仕事も、これとまったく同じ構造やで。スキルも基礎も整ってへんのに、「気合い」「根性」「徹夜」で勝負しようとする。
本人は泣きそうなほど頑張ってる。でも、評価する側からすると、「いや、その前にここ直そか」って話になる。
このズレが続くと、人は「こんなに頑張ってるのに評価されない」という感情にハマる。
ここで初めて、「報われない努力」という言葉が生まれるんや。
でもな、ちょっと意地悪な言い方すると、それは努力が無駄やったんやなくて、努力の置き場所を間違えただけや。
畑も耕してへん、種も違う、水もやってへんのに、「毎日祈ってます!」言われても、そら実はならん。
自然界の話として考えたら、そんなに不思議でもないやろ。
ほんでな、ここが大事なんやけど、ガンバリズムそのものが悪者なんやない。
問題は、「どの段階でも頑張ればええ」という雑な信仰や。
頑張りはな、万能薬やなくて、ブースターや。
条件が揃って、土俵に上がって、同じレベルで並んだ時に、最後に効いてくるもんや。
条件が揃ったあと、というのはな、よう考えたら不思議な段階や。
見た目も、スキルも、立場も、ある程度「横並び」になっとる。
ここまで来ると、不思議と数字や肩書きの差は効きにくくなる。
みんなそれなりにできてるし、それなりに賢い。せやからこそ、この段階で初めて「差」が生まれる。
その差はな、才能でもセンスでもなくて、「どこまで踏み込めるか」や。
もう一歩、面倒なところを引き受けるか。もう一段、考えるのをやめずに粘れるか。ここで出てくるのが、いわば後半戦のガンバリズムやねん。
恋愛で言うたら、お互い悪くないな、と思っとる段階。LINEも返ってくるし、会話も成立する。
ここから先はな、サプライズでも自己犠牲でもない。相手の生活リズムをちゃんと覚えるとか、疲れてる時に無理に会おうとせえへんとか、地味で、誰も褒めてくれへん頑張りや。
仕事でも同じや。基本的なスキルが揃った人間同士の勝負は、「最後まで詰めたかどうか」で決まる。
資料の数字をもう一回確認したか。相手の立場を想像して、一文書き換えたか。締切ギリギリで投げたか、前日に一度寝かせたか。こういう話になってくる。
面白いのはな、この段階の頑張りって、本人ですら「頑張ってる」感覚が薄いことや。
しんどいけど、無理してる感じはない。「ここまでやらんと気持ち悪い」ただそれだけで動いてる。
せやから外から見ると、「あの人、要領ええな」「センスあるな」みたいに見えることが多い。
でも実際は、条件を揃えるところまでは淡々と、揃ってからだけ、静かに踏ん張っとる。
ガンバリズムが嫌われるのはな、前半で使うからや。まだ見られてもいない段階で、全力でアピールするから痛くなる。
後半で使うガンバリズムは、だいたい目立たへん。でもな、最後に選ばれるのは、たいていこの「目立たない踏ん張り」を続けた人や。
そろそろ、ガンバリズムの正体がちょっと見えてきたんちゃうかな。
ほな、もう一段だけ奥に行こか。
でなガンバリズムが誤解されやすい理由ってな、たぶん「量」の話にすり替わるからやと思うねん。
何時間やったとか、何回挑戦したとか、そういう数えやすい話になった瞬間に、本質からズレていく。
ほんまはな、後半のガンバリズムって「量」やない。「質」でもない。もっと言うと、「姿勢」や。
自分がやってることに、最後まで責任を持つかどうか。
途中で「まあ、こんなもんやろ」と自分に言い訳せえへんかどうか。その一点に集約される。
恋愛でもそうや。条件が揃って、関係も悪くない。そこで雑になる人、結構おる。安心した瞬間に、返信が遅くなったり、気遣いが減ったりする。
相手はそれをちゃんと見とる。「頑張らなくなった」んやなくて、「向き合わなくなった」って感じ取られる。
仕事も同じやな。プロジェクトが軌道に乗った瞬間に、詰めが甘くなる人がおる。
最初は必死やったのに、途中から確認を人に任せたり、まあ大丈夫やろ、で流したりする。事故が起きるのは、たいていここや。
逆に言うとや、この段階で踏ん張れる人は強い。派手なことはせえへんけど、静かに信頼が積み上がる。「この人に任せとけば安心や」そう言われる人間になる。
これって才能でも性格でもなくて、選択の積み重ねやと思うねん。
楽な方に流れるか、一回だけ立ち止まるか。その小さな差が、後からめちゃくちゃ効いてくる。
せやからな、ガンバリズムを全否定するのも、盲信するのも、どっちも違う。
前半は条件を整える。後半は姿勢で勝負する。
順番を間違えへんこと。それだけで、無駄な消耗は減る。
結局な、ガンバリズムって「人生ずっと全力疾走しろ」いう話やないんよ。
むしろ逆で、どこで力を抜いて、どこで踏ん張るかを見極めろいう話やと思うねん。
頑張る前にやることがある。土俵に上がる。条件を揃える。
相手から「選択肢として見てもらえる位置」に立つ。
ここを飛ばして頑張ると、努力はだいたい独り相撲になる。
でもな、条件を揃えたあとに「もう頑張らんでええわ」と思うのも、それはそれで違う。
最後の最後、差がつくのはいつも、目立たんところで踏ん張った人や。
評価も拍手もない場面で、もう一回考えたか。もう一回手を動かしたか。もう一回、自分をごまかさへんかったか。
それはな、「努力が報われる」瞬間やない。「努力が実る」瞬間ですらないかもしれん。ただ、自分の中で筋が通る瞬間や。
その積み重ねが、あとから振り返ったときに「ああ、あれでよかったな」と思える形になっとるだけや。
せやからな、ガンバリズムを疑うのはええ。否定してもええ。
でも最後の一歩まで疑いきって、それでもなお踏み出すなら、それはもう古い精神論やなくて、ちゃんとした戦略や。
頑張らんでええ場面で頑張らん。頑張るべき場面でだけ、逃げへん。それができる人間は、だいたい静かに、強い。
まあ、どっちでもええけどな。せやけどもし、「ここやな」いう瞬間が来たら、そのときだけは、ちょっとだけ踏ん張ってみたらええ。
ガンバリズムはな、最後の一段にだけ置いとくもんや。
追伸。さもな、ワイ、勉強めっちゃ頑張ってるタイプに見えるやろ?……まあ、そこは否定せんとこか。実際、よう勉強しとった。
中学一年の頃にはな、「20代で事業主になったるわ」って本気で思っとった、今思えばただの勘違い野郎や。
中三の頃なんか、電卓片手に経営分析のマネごとしててな。授業中にカチャカチャやっとるもんやから、先生に何回電卓没収されたことか。笑
ドラッガー先生の『マネジメント(2冊のほうな)』も中三で読んだし、コトラー先生の黄色い本にも手ぇ出しとった。今で言うたら、だいぶ意識高い系やな。
でもな、ちょっと聞いてほしいんやけど、ワイらの時代の「独立」って、今とは前提が全然ちゃうねん。
今みたいに、思い立ったら会社ポンと作れる時代やなかった。当時はな、株式会社作るのに資本金1000万や。有限会社でも300万。数字だけ見たら、正気の沙汰ちゃうやろ。
しかも時代はバブル崩壊後の、景気ええんか悪いんか分からん暗黒期。銀行?20代のガキが「事業やりたいんで1000万貸してください」……はい、終了。門前払いになるんは想像つく。
親にそんな金あるわけないし、親戚に頼る気もさらさらない。そもそも借金したくない性分やったしな。
ほな、どうするか言うたら、答えは一個しかないやろ。
学校の勉強?……正直に言うで。ほぼやってへん。テストは赤点のオンパレードや。
高校入ってからは、事業資金貯めるためにバイト掛け持ち。放課後は働いて、テスト前も働いて、成績はきれいに真っ赤っ赤。笑
今の時代はな、起業は身近やし、情報も一瞬で手に入る。その分、「楽そう」「簡単そう」な言葉も山ほど転がっとる。
せやからこそや。ワイは思うねん。
甘い話を信じる前に、自分の頭だけは、ちゃんと叩き上げといたほうがええ。知力はな、裏切らん。逃げへんし、減らへんし、盗まれへん。
まあ、タラレバ言うたらキリないけどな。起業しやすい法律に変わったんは、正直うらやましいで。「ワイが中学生の頃に変わっとけや!」って思わんでもない。笑
でもまあ、あの不便な時代やったからこそ、腹くくる練習も、考える癖も、だいぶ仕込まれた気はする。
結局な、遠回りに見える時代でも、ちゃんと意味はあったんやろな、ってことや。
……というわけで、若い頃の苦労話はこのへんにしとくわ。昔話はほどほどが一番やな。
「はあ?こいつ自分に酔うてるのか」やろ?
…ワイはな、中学の時点で、その先に待ち受けとる壁が、うっすら見えてしもたんよ。
せやから、「学生としての学び」を一回、横に置いた。……いや、学校には行っとったで。そこは誤解せんといてな。苦笑
何かを本気で取りに行こう思たらな、時間も、選択肢も、体力も、ぜんぶ足りひん。
結局、人は何かを得るために、何かを諦め、何かを失いながら進む生きもんなんやと思う。
全部欲しい、はだいたい無理や。どれを取って、どれを手放すか。そこに、その人の覚悟と価値観が出る。
さて、あなたはどうやろ。
今、握りしめとるもんは何や?逆に、まだ手放してへんもんは何や?それは、本当に今の自分に必要なもんやろか。
もし一つだけ、未来の自分のためにあえて捨てるとしたら、あなたは何を選ぶ?
その答えが、たぶん、次に進む方向をもう教えてくれとる気がするで。
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この言葉が、誰かの思考のきっかけや、小さな視点の転換になれば嬉しいです。