台湾と中国、2つの中国語

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「翻訳」とは、単に言葉を置き換える作業ではありません。それは、その言葉が育まれてきた土壌や、背負っている歴史、そして今まさに変化しようとしている社会の空気を、別の器へと慎重に移し替える「文化の密輸」のようなものです。
私は北京の灰色の空気と、台北の湿り気を帯びた風の両方を肌で知っています。同じ「中国語」という看板を掲げながら、その実態は驚くほどに異なります。今回は、私が翻訳者として、あるいは生活者として直面した、二つの中国語にまつわる3つのエピソードを綴ります。

消された「レーザー」——純血主義の北京

数年前、北京の出版社から、ある最先端技術に関する解説書の翻訳を依頼された時のことです。
技術用語の翻訳は、その国の「言語に対する姿勢」が最も顕著に現れます。私は当初、台湾での習慣に倣い、「レーザー」を「雷射(レイ・シャー)」と訳しました。これは英語の「Laser」の音を当てた外来語です。しかし、大陸側の編集者から返ってきた原稿には、真っ赤な修正が入っていました。
「これは『激光(ジー・グァン)』に統一してください。音訳は好ましくありません」
中国大陸では、近年の自国文化への自信と、それと表裏一体の民族主義的な背景から、外来語をそのまま取り込むことを極端に嫌う傾向があります。「光の激しい放射」という意味を持つ「激光」という言葉は、確かに論理的で機能的です。しかし、そこには「外部の言葉を自分たちの論理で飼い慣らす」という、ある種の排他性と強固な意志が宿っています。
かつては「マクドナルド(麦当労)」のように音を写す寛容さがあった大陸の中国語ですが、現在は「外来の概念も、中国語の純粋な理屈で説明し直さなければならない」という無言の圧力がかかっています。翻訳しながら、私は言葉の周りに見えない壁が築かれていくような、奇妙な閉塞感を覚えたのでした。

お弁当と「アッサリ」——台湾のスポンジのような抱擁

舞台を台北に移すと、景色は一変します。台北の路地裏にある小さな食堂で、私は翻訳の仕事に行き詰まり、「便當(ビェン・ダン)」を頬張っていました。
この「便當」という言葉自体、日本語の「弁当」がそのまま居着いたものです。台湾の中国語(台湾華語)は、驚くほど懐が深く、そして「ゆるい」のです。
「あの人、今日の態度は本当に『アッサリ(阿莎力)』してるよね」
「この仕事はもっと『キモ(Kimo)』を掴まないと」
これらは台湾の日常会話で普通に飛び交う言葉です。「阿莎力」は日本語の「あっさり」から、「Kimo」は「気持ち」から派生しています。さらに、そこに地元の台湾語(ホーロー語)の語彙が混ざり合い、独自のマーブル模様を描き出します。
台湾で翻訳をしていると、言葉の「許容範囲」の広さに救われることが多々あります。日本語のニュアンスを伝える際、大陸の標準中国語(普通話)ではどうしても説明的になってしまう部分を、台湾では「そのままの音」や「共有された感覚」で突破できるのです。
それは、統治の歴史や多文化共生の記憶を、拒絶するのではなく「自分たちの一部」として飲み込んできた台湾という島の、強か(したたか)で優しい生存戦略のようにも見えました。

「ロジック」はどこへ消えた?——翻訳の政治学

最後のエピソードは、あるビジネス文書の翻訳を、中台両方の拠点を持つクライアントから依頼された時の出来事です。
その文書には、現代的な「ロジック(Logic)」という概念が頻発していました。台湾向けの翻訳では、古くから定着している音訳の「邏輯(ルォ・ジー)」を使いました。しかし、大陸向けの最終チェックでは、それが「条理」や「思維方式」といった、より伝統的で硬い漢字表現に置き換えられて戻ってきました。
「最近の当局の指針では、メディアや出版物での不必要な英単語の使用や、西洋的な音訳語の使用を控えるよう指導があります。より『正しい中国語』で表現してください」
そう説明されました。言葉を「浄化」しようとする動きは、一見すると文化の保護に見えますが、翻訳者の目には、それが多様な思考の芽を摘む作業にも映ります。
一方、台湾のクライアントは「『邏輯』でいいですよ。もし読者がもっと今っぽく感じたいなら、そのまま英語で『Logic』って書いても通じますしね」と笑っていました。
この差は、単なるボキャブラリーの違いではありません。「新しいものや異質なものを、そのまま受け入れる勇気があるか」という、社会の基礎体温の差です。

境界線の上に立つ

中国大陸の中国語は、今、巨大な重力によって中央へ、そして「純血」へと引き寄せられています。それは強固で迷いがない一方で、どこか息苦しさを伴います。
対して台湾の中国語は、日本語や台湾語、そして英語を軽やかにサンプリングし、境界線を曖昧にしながら進化し続けています。
翻訳者としての私の仕事は、この二つの全く異なる「漢字の世界」の間で、溺れないように泳ぎ続けることです。大陸の厳格な論理性と、台湾の変幻自在な包容力。そのどちらが良いかではなく、その違いの背景にある人々の営みに思いを馳せること。
2000年前から続く漢字というシステムが、ある場所では「盾」となり、ある場所では「スポンジ」となる。そのダイナミズムを翻訳できるのは、両方の空気を吸った者に与えられた、少しばかり厄介で、最高に刺激的な瞬間だと言えるでしょう。
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