今日は、少し私の話をしようと思います。
私は幼い頃からあまり順調な人生を歩むことができませんでした。
ある角度から見ると「それだけでも十分幸せ」
と思ってもらえるような裕福な家に生まれ、身体も健康で、
容姿にもある程度恵まれました。
だけど、どんな環境に生まれても、幸せと思える出来事と、
不幸だととらえざるおえない出来事には巡り会わされてしまうもので、
私の幼少期は、とても幸せとは言えるものではありませんでした。
率直にいうと「私は、何のために生きているんだろう…」
そんな感情が心のどこかにずっとあった、そんな感じだったのです。
そういった思いは、誰しも持っていると思われる方もいると思うのですが、
私のこの感情の中には”生きている心地がしない=いつ死んでも別に構わない”
という意味が含まれます。
自分がいつ死んでも別にどうでもいい。
私は誰にも、そして自分自身に一番必要とされていないことを、
早い段階から心底感じていたのです。
私の魂は、いつも自分を差し出す選択を試みました。
”誰かに愛されるには、自分を犠牲にすること”
そういったプログラムが、私の魂には刻まれていました。
それは前世からの私の魂の生き方でした。
だからこそ私は、自己犠牲のもとに愛を得てきた母方の家系の気質を強く引き継ぐ母と、精神的に不安定なDV気質を持つ父との間に生を受けたのです。
そして父は私が幼い頃に自死しました。
人生は不思議ですよね。
私たちは、人間の身体と魂を持って生きています。
魂は、それぞれにテーマを持ち生まれます。
魂たちは、私たちが不幸になるための契約をして生まれてはきません。
でも、不幸を引き寄せてしまう選択をし続けてしまう人もいる。
今、私はやっと”自分を生きる”ことができ始めたばかりです。
私もずっと不幸を体験し続ける選択ばかりしてきました。
だけど、これからはそんな体験をしなくても、
幸せの中からも学びや成長を遂げることができる時代がやってくると思っています。
今、父はいわゆる「天国」や「輪廻待機の場」ではなく、
自らを振り返り、深く癒しながら魂を再構築しているそうです。
そこはとても静かで、全てが柔らかく包まれているような空間。
時間も、悲しみも、怒りも、そこでは波のように静かに流れていて、
父の魂は今、「失ってしまった自分自身のかけら」を拾い集めている最中なんだそうです。
私はこれから
「父がいる場所のような心の居場所を、この現実世界でも作っていきたい」
そう思っています。
誰かの役に立ちたいというよりも、一人一人の魂の休憩所に慣れればと思っています。