そらのねからの通信【第三十二通】強くてニューゲームによる地球再開

記事
コラム
生きること、世界が在ること。
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私達人間は、その所有権や主導権を持っていない
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肉体側の仮の名と仮の意識を通して、
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様々な未完成、未完了、不一致の都合や意味付けによる
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曇りのまやかしの霧に入り込む演技を、
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反射的に繰り返す癖を持っています。
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そんな単純な演技によって自滅、混沌、混乱のループを
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永遠と彷徨い続けるという簡単な絡繰りを
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時代を越えて、歴史的に見落とし続けてきました。
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未完のまやかし空間に入り込む通常のニューゲームの
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セーブデータで地球を生きるということも、
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人間にしか味わえない醍醐味や刺激を受け取る
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需要を満たせる至高の輝きと豊かさそのもの。
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ただ、前述した未完成、未完了、不一致の都合や
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意味付けの演技はしないといけないものでも、
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生きること、世界が在ることの実体でも、
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絶対的に存在している概念や起きているものでもありません。
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この瞬間が、この生がずっと続きますように。
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これ以上先も満ち足りることも他にはない。
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歩んできた時間そのものを生まれ変わっても再び歩みたい。
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未完も更なる先も起こり得ない、
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そんな終点の涅槃の均衡の時間の流れと感涙を
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万物が互いに支え合って常に循環し続けている。
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そのために森羅万象が、一つ一つの生命が
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労わりから誕生してくれて、存在を続けてくれている。
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そういった摩擦、もがき、妨害、蟠り、恐れなどの抵抗が無い、
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一つにまとまることが最初からずっと完了している
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事実のみが展開され続けている。
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そんな強くてニューゲームを通して
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地球に存在している記憶、セーブデータを、
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実は人々も平等に保持しています。
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性別、年齢、これまでの境遇、現状、
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人間的な能力や特徴の差異などに関係なく、
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強くてニューゲームのセーブデータをロードして、
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地球での生を再開できる権利も与えられています。
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幸せや安らぎといった、
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肉体側の仮の名や仮の意識にとって
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好ましいものに満ちることが素晴らしいものでも、
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正しいものでも、価値があるものでも、
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社会に広がるべきものでも、
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皆で分かち合うべきものでもありません。
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不幸や欠乏、蟠りといった、
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肉体側の仮の名や仮の意識にとって
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好ましくないものを経験することが
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止めておいたほうが良いこと、
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価値がないもの、正しくないもの、
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皆で無くすべきものでもありません。
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どちらであっても生を通した
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需要を満たすことができるもの。
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もし強くてニューゲームのセーブデータをロードして、
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地球での生を再開することに命が純粋に共鳴しているなら、
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そのデータが呼び起こされるような地図を、
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ほんの少しだけ書いて、渡すことくらいはできます☆
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今日もわざわざ最後まで読んで下さり、
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​
ありがとうございました^^

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