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【音声トーク】人は誰でも魔法使い◆霊的世界こそがメイン◆人生は自由にデザインできる

人は誰しも、魔法使いです。 つまり、どんなことだってできるのです。 それが本質であり、真理です。 でも、ほとんどの人は、 それを忘れてしまっています。 心の奥底では、みんなわかっているのに、 それを忘れてしまっているのです。 「わかっている」――というのは・・・ ・霊的な世界ことがメインである ということをわかっている、 ということです。 つまり、現実世界(物理空間)は、 あくまで「サブ」であり、 あくまでメインなのは、 「霊的世界である」ということを、 実はみんな知っているのです。 それは、 日常のあらゆる場面を 思い出してみればわかります。 空想の話や、夢の話、 昔の思い出話など・・・ 普通に、日常会話でしますよね? このことが、 「霊的世界こそがメインである」 ということを、 みんな心の奥底では知っていることの、 何よりの証拠なのです。 それをはっきりと思い出し、 人生を自由にデザインしましょう。 なぜなら、 霊的な世界では、 全てが可能なのですから・・・ ★ ~ 自己啓発 スピリチュアル 精神世界 人生論 非二元 言霊 コーチング ~
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悟りをめざせば生きづらさから解放される?①

はじめに言っておきますが、私は悟りを得ていません。ただ、今から思えば子どもの頃から人生の真実を求め続けていた気がしています。オカルトやミステリー系の書籍が好きだった父親の影響もあって、小学一年生のときに図書券をもらって初めて自分で買ったのはエジプシャンカードセットでした。見えない世界があること、またそういう世界にコンタクトを取るということについて関心が高かったのだなと思います。そんな中で私は自分の人生で実験をすることが大好きで、心理テストやヒーリングや占い、量子力学的な実験、潜在意識へのアプローチ、引き寄せの法則などもいつも自分をモルモットに見立てて取り組んできました。スピリチュアルなことを誰もが発信したり求めたりすることができるこの時代、悟りを得ている人は沢山いると思います。「私がずっとほしかったのは、いわゆる悟りだったんだ」と気づいたのは、この1年くらいですが、「悟りを目指す」という意図を持ち始めてから明らかに私は人生が楽になってきました。でも、もし今後悟りを得て「この世がなんなのか」が本当に分かってしまったら、私自身は悟りについて人に話したりしなくなる気がしています。なぜなら、わたし=あなたという非二元が分かってしまったら、私が得た情報を誰かに伝える必要性を感じなくなってしまうのではないかと今の私は想像しているからです。ですから、まだぼんやりとしか分かっていないにもかかわらず毎日が劇的に楽になった体感がある今こそ、悟りを目指して今を生きることの効果をお伝えできるのではないかと思います。幸せになるのは悟りを得た後ではないのです。悟りを目指している段階から、悩みは日に日に減っ
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私というエネルギーが消えた

3月の末頃、朝目覚めた時、あるものがなくなってました。あれっ?ないって感じで。 それは前日まで確かにありました。当たり前のものとしてありました。そのなくなったものというのは、自分っていう感覚です。ハートのあたりに感じる自分という感覚です。胸に手をあてて自分に聞いてごらんってやる時に感じるあれです。たぶん、誰もが感じているものだと思います。つまり、(今まで感じていた)自己というものがなくなった訳です。自己を自己とたらしめるものがなくなる。 ⁡そして、これを私というエネルギーであると感じました。この、私というエネルギーは、私を確立させる源泉のエネルギーのような気がします。非二元で言われるている『私はいない』はこの私というエネルギーがなくなることです。そもそも、生きる上で私が介入していかないので、生きるのがとても楽になります。⁡そして、この経験は解放という言葉がしっくりきます。⁡
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脳内メタバース

今回はメタバースを使って悟りについて説明したいと思います。 ⁡ ゴーグルを装着しメタバース空間へ一歩足を踏み入れると、そこは、あたかも別の現実がリアルに存在してるように感じ、自分が設定したアバターと自己同一化し、メタバース空間に没入していくことができます。 ⁡ 仮にメタバース内でジェットコースターに乗ってるアトラクションを楽しんでいるとしましょう。 この体験は、現実さながらのスピード感や落下の感覚まであって、胃がひっくり返りそうになったり、恐怖感も湧いたりして、ヒェーッ!となります。 ⁡ ⁡ 視覚情報によってその現実を経験しているのは紛れもなく脳です。 実際の現実では何も起きてません。 見ている光景は立体映像なので、現実でジェットコースターに乗っているように脳が錯覚を起こしているのです。 同時に体までもが反応を示します。 それだけリアル感があります。 ⁡ さて、ゴーグルを外して、同じジェットコースターに乗ってる映像をTVのモニターを通して見たらどうなるでしょう。 おそらく、ヒェーッ!とはならず、流れている映像はゴーグルを外す前と何も変わらないですが、寛いで見ることができると思います。 ⁡ 悟りはこれに良く似てます。 ⁡ つまり見えている現実は同じであっても反応の仕方が変わってくるのです。 ⁡ 悟ったからといって、何か特別なことが起きる訳ではなく、目の前で展開される映像は、悟る前と何も変わりません。 ただ、現れた現象に対しての感じ方が変わるだけです。 それはゴーグルを装着して見るのか、外して見るのかの違いです。 ⁡ そして、ほとんどの人は脳内にこのゴーグルを装着して生きてます。装
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誰もがダイヤモンド

実はみんな、一人残らずダイヤモンドなんです ⁡ 例外はありません ⁡ えっ?て、思うかも知れませんね ⁡ ダイヤモンドの表面に汚れや黒ずみが付着してるだけなんです ⁡ 黒ずんだダイヤモンドを見ても、誰もそれをダイヤモンドとは思いません ⁡ ⁡ ⁡ まず、人はダイヤモンドの状態で生まれてきます ⁡ 赤ちゃんがその状態です ⁡ それが大きくなるに従い、いろんなものが付着していきます ⁡ ダイヤモンドであったものが、どんどん汚れていきます ⁡ 表面上は黒ずんでいきますが、中身はダイヤモンドのままです ⁡ 人によって汚れ度合いは違いますが、どれだけ汚れていようがダイヤモンドであることに変わりはないのです ⁡ そして、磨けば輝きがもどります ⁡ ダイヤモンドが露わになり、元からダイヤモンドであったことが分かります ⁡ ⁡このダイヤモンドが本当の自分です ⁡ やることはただ一つ ⁡ 汚れを落とすだけ
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思考は形状記憶

思考は形状記憶って何のこと?って思いますよね。 ⁡ 悩みや苦しみの原因の一つはこれなんですが、悩んでる時って、同じことをずっと考えてませんか? ⁡ 悩みはどこで起きているかというと脳内です。 ⁡ 例えば、相手から嫌な態度された出来事があったりすると、それは自分の外側の出来事であっても、後から振り返り、あ〜でもない、こ〜でもないと考えているのは脳内です。 ⁡ 今、そのいやな出来事が目の前で起こっている訳ではないのに、脳内では繰り返しの思考が再生されてます。 ⁡ このことをデフォルト・モード・ネットワークと言います。 ⁡ 脳が無意識で自動的に機能しており、さまざまな雑念や思考がとりとめもなく出てくる状態です。 ⁡ 嫌な出来事がなくとも脳はこの状態です。 ⁡ デフォルトというくらいですから脳の初期設定みたいなものです。 ⁡ つまり、思考がグルグルするのは自動でやってます。そして、そのほとんどがネガティブ(笑)。 ⁡ ちなみに、思考はコントロールできません。 試しに、1分間思考を止めてみて下さい。 必ず1分も経たない内に何かの思考が湧いてきます。 ⁡ このことから言えるのは、あなたが思考を起こしている訳ではないのです。 ⁡ 勝手に起きてくるのです。 ⁡ 言わば、心臓が勝手に動いているように、思考も勝手に湧いてくるんです。 まるで自然現象みたいですね。 ⁡ そして、とりとめもなく、いつも同じパターンの思考がやってくる。 ⁡ これが形状記憶です。 ⁡ まずは、こういった事を知る事から、何かの気づきがあるかも知れませんよ😉
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悟りってなに?

悟りという言葉は良く耳にするかと思いますが、それが何なのかは悟ってみないと分かりません。 ⁡ 人生の中で苦しみが起きると、そこから逃れたいがために自分を改善させようとしたり、アルコールで全てを忘れようとしたり、ドラッグに走る人もいれば、ひどい場合だと自死までしようとしてしまいます。 ⁡ 苦しみから逃れたいとうこれらの衝動は全て、楽になりたいという欲求に向かってます。 ⁡ 苦しみまで行かなくとも、些細なことで落ち込んだり、思い通りに行かなくて悩んだり、気持ちが楽になることはなかなかありません。 ⁡ ある調査によると思考の8割はネガティブなことを考えていると言われてます。 ⁡ そう考えると人間というのは何てネガティブな生き物だろうと思います。⁡ 悟りはこれらの一切の苦悩から解放されるといった概念です。 ですので、人は昔から悟りを求めていたのですね。 悟れば楽になると。 但し、そう簡単にできるものではないんですね、これが😢 ⁡ ⁡では、私なりの悟りを解説してみます。そもそも悟りって掴みどころがなく言語化できないものなんです。 なので、ここで話すことは一つの比喩であることをご承知下さい。 ⁡ まず、人にはその人の本質というものがあります。 この本質は何かを認識してるものです。 何かというよりもあらゆるものをです。 この本質は何かに侵されることはありません。 あなたが泣こうがわめこうが何ものにも影響を受けることがありませんし、失われることもありません。 移り変わる現象をただ見ているに過ぎず、心の動きも見ている現象の一つです。 ⁡ さて、人は生まれてから成長していく過程で、いろんなことを学
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光の仕事人として生かされる人生

初めまして。光の仕事人 Yoheyです^^セラピスト歴15年、これまで時代に合わせ様々な媒体、自身のHPやブログ、メルマガ等を書いて参りましたがここでのブログは初投稿となりますので自己紹介も兼ねてどうぞよろしくお願い致します^^で、まず光の仕事人ってなに?って事ですが光の仕事人=ライトワーカーとは不安や恐れなどから人々を解放し人々に希望の光を届ける使命がある人の事を指します。そして私、Yoheyの人生の目的は、霊的素質によって人々を勇気づけ、向上させ、鼓舞する事。まさに光の仕事人(ライトワーカー)を地で生かされ天命だと感じております^^ざっくりここまでに至る経緯を書かせて頂くと私は昔から明朗で明るく誰とでも仲良くなれる社交的な人と思われて生かされてきましたが実は内面はとても繊細で細かい事にも気づいてしまう臆病な性格でした。後にそれが今で言うHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)だという事を知りました。そしてその中でもエンパス(empath)体質だという事も知りました。エンパスは人並外れて共感力が高く目に見えない感情エネルギーが自分に体感として伝わってくる能力です。なので人の表面的な言葉ではない喜怒哀楽が伝わるので人が表面的には隠していても実は喜んでたり、怒っていたり悲しんでいても分かるし嘘をついていても緊張感や罪悪感などが伝わってくるので分かっちゃいます^^;なのでエンパス体質の多くの人は一方的に人の感情が流れてきて疲れてしまうので、無意識に人を遠ざけ一人の時間をとても大切にします。それを聞くと大変そう、しんどくて辛そうって言われる事もありますが私の場合は意識的にその体質を
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見過ごされてる中にある大切なもの

おはようございます*^^*お散歩も心地よく感じられる気候になってきました。朝夕、少し歩くだけでも心身緩み、体も軽やかに感じられているように思います。変わり続けている自然そのものにそっと力を貸してあげるような心地で体にも自然な動きを与えてあげる事大事なのかもしれないなと。血のめぐりも動くことでスムーズになりますものね^^ここでの表現は、一般の人が好まないような表現が多いように思いますが読んでくださる方がいるというのも良く似た状態におられる方がおられるのかな?と。希望や望みの無くなった先に感じられる場所だと思うので・・・希望や望みは思考の中の世界のことだから。小さなころ、”この私というものは死んだらどこにいくのだろう”そう考えては停止していました。考えてわかることではなかったのだなと今ではそのころの自分と答え合わせができている感じです。その都度、その答えのきっかけになるような出合いや表現がここに現れてきました。”私”という感覚をずっと見続けたりした時期もあり逆に思考まみれというか頭がぐるぐるしていました(笑)”私とは何か・・・”そう感じていたときに、徐々に背後にそれはあると感じられるようになって・・・慣れ親しんだ”私”と背後のその感覚は別だった!という気づきが起き・・・その背後を感じているとあるとき、以前も表現した時間がゆっくりになり(このゆっくりになったというのは、特別なことではなく、完全に思考が止まった状態だと思います)ここに映る手が勝手に動き、考えている私がいなくて勝手に思考が湧き上がっていたことが見えたのでした。戻った時はなんだ?!え?!誰が動かしてたの?!と怖くなったのを
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二つの視点

おはようございます*^^*窓を開けたら目の前に虹でした。綺麗でした🌠自然が織り成す美しさってすごいですよね。このような現象も生み出してる・・・そして2週間のシェア生活も終わりました。二人の良さも味わえました。一人でできないことを助けてもらえる有難さ・・・一人も二人も良さってどちらにもあって選べません^^一人でも二人でもどちらでもいいですし、全体にお任せします。決して誰かが傍にいなくても全体といつも一緒は変わらないですもの。この目を通して二つの視点。このサラさんを通しての見え方を少し表現してみましょうか。非二元と二元虹がわたし(全体)の中に現れました。私が虹を見ました。(虹を見るとこういう意味があると一喜一憂することもあるけれど本当のところ虹にはなんの意味(フィルター)も張り付けられていない自然な現象です。)昨日もお話する中で過去を悔いておられる方がいました。わたしの中に過去の記憶が現れ悔いる私が現れた。過去なぜああしてしまったのだろうと私が考えた。このように二つの視点。わたし(全体)の中に私含め、思考、感情が現れては消えています。相手と思う誰かもここに現れる思考や感情と同じわたし(全体)の中に現れるもの。ここに現れるのもはなんでも良しなのです。判断する私を超えて現れるべくしてそうなっています。
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ひとつの命

おはようございます*^^*幸せの青い鳥でも描かれているように安らぎはここにあります。皆悟りとともに在るというのも似た表現ですね。前回、見えないと書いていたのは本当に、不思議なくらいここに明らかにそのままあるのに、思考がそれらを見えなくしているんです。それくらい思考って強烈です。これは体です。これも教えてもらった概念だけど、純粋にこのものの活動を見るとただ感覚だけがある。照らし出されたもの、見るという経験に映し出されるものしかありません。体が映っていないときは無いのです。同時に過去も、未来も物凄くリアルに感じられる情報もここにはありません。あとはすべて想像の中のこと。思考の中のことでしかありません。どれだけ思考の中の世界を私たちは生きているのか・・・思考の威力はすごいと思います。ここに座っていても今にいられるひとときって数秒ではないでしょうか。すぐに、思考の中に入り込んでしまっています。でもそんな中でも体の動きは変化しています。まばたきや、体の姿勢を変えること・・・それは自然に起きていることでしょう。この自然な動きが、自分と思っているものなしに動いています。ひとつの命としてこのものと一体になり動いています。ひとつの命の活動というのもイメージ上のことではなく今ここをよく感じているとそれがはっきりと見えてきます。ずっとそのように私たちは変化し動き続けてきました。このものの中で・・・私たちが内と外と言って来たものもありません。ここしかありません。心が無いということもそれも概念でその時その時、そのような感覚が命から湧いているということ。それをまとめて”自分の心”という表現が起きているんで
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目覚めるということ

こんばんは。今夜は同じところを感じてる方とご縁を頂いてその共鳴に感動が起きて眠れないので、湧き上がるままに表現しよう。目覚めるということノンデュアリティー、非二元、悟りとも表現されているみたいですね。きっと、多くの人が勘違いしている目覚めるということ・・・個人の自分が目覚めるということではないのですね。そして特別な素晴らしい体験でもなくとても当たり前で、シンプルなこと。ものすごく慣れ親しんできたことに気付くということ。目覚めるということ全体に目覚めるという感じな気がします。ひとつの命だけがあります。そして、慣れ親しんだ心も体もありません。ただここに、ひとつの表現が現れてきています。している誰かは存在していません。同時に相手もいません。今まで自分と相手と思ってきたものはひとつの中に現れてきているものぬいぐるみがあったら、それと同じです。ひとつの命がどこにいても変わらず生き続けている。自分が生きていると思っていたことが実はひとつの命全体が生きていた。世間も社会も想像だけのこと。ここにはそれらは存在していない。ただただ静けさの中に、命が現れている。様々な形の表現としてそれは起きてきてる。なんだこんなことかと感じる事。きっと皆がそう感じる。それくらいとてもシンプルで単純なこと。だからそれが見えない。思考の中に埋もれて、それが見えない、感じられない。静けさだけしかない。何もない。誰もいない。ひとつの命だけがある。
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見せかけの包帯の下に輝く本当の「あなた」

こんにちは。「あなた」という命の表現に光を当てる、光の仕事人 yohey です。私たちはこれまでの人生で何かのきっかけで傷つきその傷に「思い込みの絆創膏」を貼っています。私は弱い人だ私は悪い人だ私は恥ずかしい人だ私はありのままで受け入れてもらえない・・・・・・などなど。それらに「思い込みの絆創膏」を貼る。そしてそれらを隠す為に「見せかけの包帯」を巻く。強いぜ包帯弱いんです包帯いい人包帯ワルだぜ包帯ポジティブ包帯ネガティヴ包帯・・・・・・などなど。その結果嘘をついてる感覚自分には能力がない感覚見せかけの包帯を褒められているから褒められても受け取れない本当の自分を知るのが怖くてどんどん自分らしさがなくなり自分自身を信じられなくなるでも本当のあなたを知る事はその「見せかけの包帯」の下を見る事です。それが怖いのは「思い込みの絆創膏」があなただと思い込んでるからです。その「見せかけの包帯」や「思い込みの絆創膏」そして傷ついたと思っているその傷の「カサブタ」の下には光輝く本当の「あなた」がいます。何者にもなろうとせずそのカサブタを剥いでみましょう。自分がダメだと思ってる所をさらけだしてみましょう。案外その方がみんなに受け入れられたり人気ものになったりするものなんですよ^^
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他人軸や自分軸の先にあるもの

ご縁をいただくご相談者様は、これまでスピリチュアルについて学びを重ねられてきた方が多いのですが、それによって、かえって生き辛く感じている方も同時に多く、最近はそのようなご相談をよく耳にします。「他人軸より、自分軸で生きた方がいいんですよね?わかってても、なかなかできなくて...」など。確かに、他人軸で生きることは我慢がついて回りますし、不安で自分を生きれない苦しみがあると、私自身の経験からもそう感じます。ただ、自分軸が正解!良いんだ!となりますと、知らず知らずのうちに、他人軸と感じる人を見下してしまったり、社会との不調和を生み出しやすくなることにも。自信を持って生きていくという素晴らしい側面もありますが、偏り過ぎてしまうと、単に自己顕示欲が強い人...となってしまいます。これは私の学びや経験から得た考えではありますが、他人軸と自分軸を行ったり来たりしながら、自分のなりにバランスを感覚を得ていく経験を重ねて、共存や共生を体得していくことが、生きやすさにつながるのではないかと思うんです。自分軸だけに偏った生き方は、私は無理ですwと、よくお話させていただきますが、人間関係の構築が自然な方は、どちらにも偏ってない方がほとんどで、お付き合いしててラクに感じます^^私もバランスを欠いてズッコケることもありながら^^;体得している道半ばです。
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