悟りってなに?

記事
コラム
悟りという言葉は良く耳にするかと思いますが、それが何なのかは悟ってみないと分かりません。
人生の中で苦しみが起きると、そこから逃れたいがために自分を改善させようとしたり、アルコールで全てを忘れようとしたり、ドラッグに走る人もいれば、ひどい場合だと自死までしようとしてしまいます。
苦しみから逃れたいとうこれらの衝動は全て、楽になりたいという欲求に向かってます。
苦しみまで行かなくとも、些細なことで落ち込んだり、思い通りに行かなくて悩んだり、気持ちが楽になることはなかなかありません。
ある調査によると思考の8割はネガティブなことを考えていると言われてます。
そう考えると人間というのは何てネガティブな生き物だろうと思います。
悟りはこれらの一切の苦悩から解放されるといった概念です。
ですので、人は昔から悟りを求めていたのですね。
悟れば楽になると。
但し、そう簡単にできるものではないんですね、これが😢
⁡では、私なりの悟りを解説してみます。
そもそも悟りって掴みどころがなく言語化できないものなんです。
なので、ここで話すことは一つの比喩であることをご承知下さい。
まず、人にはその人の本質というものがあります。
この本質は何かを認識してるものです。
何かというよりもあらゆるものをです。
この本質は何かに侵されることはありません。
あなたが泣こうがわめこうが何ものにも影響を受けることがありませんし、失われることもありません。
移り変わる現象をただ見ているに過ぎず、心の動きも見ている現象の一つです。
さて、人は生まれてから成長していく過程で、いろんなことを学び、教わり、経験し独自のあり様が形成されていきます。
このあり様は、その人の考え、物の見方などで、あらゆる事において良いか悪いかの物差しが出来上がり、自我というものが形成されていきます。
それがその人自身になり、"私"というものが確立されて行きますが、その自我、"私"というものは、あなたの本質の上に覆い被さってます。
白い画用紙に絵を描くようなものです。描き終わった頃には絵で覆い尽くされますが、その白い紙は白い紙としてなお存在してます。失われることはありません。
仮に消える絵の具があった場合、白い画用紙は元の状態です。ホワイトボードだと分かりやすいですね。
死ぬまで、この自我を用いて生きていく訳ですが、まれにこの自我を脱ぎ捨てることがあります。
脱ぎ捨てるというと何か行為に聞こえるので、自我が勝手に落ちると表現した方がいいかも知れません。
脱ぎ捨てた先に残るのはあなたの本質です。
それまで被っていた自我を脱ぎ捨てたら、もともとあった本質が現れます。そして、本質がこの世界を生き始めます。
つまり、自我の声は薄くなり、本質が顔を出すので、目の前で何が起きていようが、どんな状況であろうが"私"は侵されることなく、何ものにも影響を受けることはなくなります。
それが悟りです。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す