「誰にも言えない。言ったら壊れてしまう。」
そんな風に、心の一番深い場所に重たい記憶を閉じ込めて、10年という月日を過ごしてきました。
子供の頃に受けた性被害。それは、私の世界を「敵だらけ」に変え、自分自身を「汚れた存在」だと思い込ませるには十分すぎるほどの衝撃でした。
でも、ある日のカウンセリングで、私はその重荷を初めて手放しました。
10年間、一秒たりとも忘れられなかった痛みが、人に話した瞬間に、驚くほどふわっと軽くなったのです。
なぜ、「話す」だけで心は変わるのでしょうか?
そこには、心理学的な確かな理由がありました。
感情の「毒出し」が行われた出来事
私が10年間、心の奥底に沈めていたのは、ただの「記憶」ではありませんでした。それは、出すことのできない「猛毒」のようなものでした。
フタをしていた10年間、私の心は常に張り詰めていました。
特に生理前、ホルモンバランスが崩れるタイミング。抑え込んでいた感情が一気に溢れ出し、猛烈な孤独感と「すべて投げ出して消えてしまいたい」という衝動に襲われる日々。
「本当の私を知られたら、きっとみんな離れていく」
「汚れた存在だと思われたくない。被害者という目で見られたくない」
そう自分に呪いをかけ、強くあろうとすればするほど、フタは重くなり、絶望感は深まっていきました。
実は一度、勇気を出して過去を打ち明けようとしたことがありました。けれど、返ってきたのは心ない「笑い」と軽いあしらい。
「また笑われたら?」「そんなことで悩んでるの?と責められたら?」「それは性被害じゃないと言われたら?」
そんな恐怖が、私の喉を10年もの間、固く閉ざし続けました。
けれど、信頼できる人にその毒を預けた瞬間、世界が音を立てて変わったのです。
言葉として外に出た瞬間、あんなに私を苦しめていた「死にたい」という衝動が、嘘のように消えていきました。
喉を塞いでいた塊が溶け出し、10年ぶりに深い呼吸ができたような、そんな感覚でした。
泣きながら話し終えた私の心に残ったのは、自分への静かな謝罪と感謝です。
「汚れているなんて、嘘だった」
「私は、傷ついて当然のことをされたんだ。自分を責める必要なんて、どこにもなかった」
被害者というレッテルを自分で剥がし、「これほど大変なことを乗り越えて生きてきた自分を、これからは目一杯労わってあげよう」と、自分と仲直りすることができたのです。
「拒絶」が「受容」に変わる、新しい上書き体験
10年もの間、私の喉を閉ざしていた最大の理由は「拒絶される恐怖」でした。一度笑われた経験が呪いとなり、「話せばまた傷つく」という予測が、自分を守るための精一杯の防衛反応になっていたのです。
しかし、勇気を出して打ち明けたとき、返ってきたのは心ない言葉ではなく、私の痛みをまるごと包み込むような温かな受容でした。心理学ではこれを「矯正的感情体験」と呼びます。
「話せば否定される」という古い記憶が、「話しても安全だった、守られた」という新しい体験で上書きされた瞬間、私の世界を覆っていた冷たくトゲトゲした空気は、優しく安心できるものに変わりました。
この体験を通して、私は何よりも大切なことに気づきました。それは「自分を受け入れる」ということの圧倒的な力です。
「被害者として汚れてしまった自分」を隠すのではなく、「辛い経験を抱えながらも、今日まで懸命に生きてきた自分」を認め、抱きしめてあげること。自分自身と仲直りができたとき、人生はこれほどまでに軽やかになるのだと身をもって知ったのです。
バラバラな「恐怖」が、一つの「物語」に変わった
トラウマの記憶は、恐ろしい映像や感覚の断片として、脳内で「今起きていること」のように保存されてしまいます。だから、フラッシュバックや生理前の激しい衝動が起きるのです。
それを誰かに順を追って話すプロセスは、バラバラになった記憶のパズルを繋ぎ合わせる作業です。
言葉にして「語る」ことで、脳はようやく「これは過去の出来事なんだ」と認識できるようになります。これを「物語(ナラティブ)の再構成」と言います。
話したことで、あの日から止まっていた私の時計は、10年という月日を一気に飛び越えて、ようやく「今」を刻み始めたのです。
この解放感を、今度は私があなたに届けたい。
あの日、私の重荷を下ろしてくれたカウンセラーのように、私も同じ痛みを抱える方の「安全基地」になりたい。そう強く願い、カウンセラーとしての道を歩み始めました。
あなたが自分を責める手を止めて、「私は私のままでいいんだ」と心から自分を労われるようになるまで。私は何度でも、あなたの言葉を否定せずに受け止め、隣で伴走し続けます。
一人で抱えている思いを話してみたいなと思った時、ぜひ私のサービスを利用してみてくださいね。
まずはDMからでも大歓迎です。勇気を出して一歩踏みだすアナタを応援しています(*´ー`*)