幸せが不安

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コラム
前回のブログでは、相性のいいカウンセラーと出会えたことで起きた心の変化を記載した。

カウンセラーにも言われたが、前回のカウンセリングは今までの私と違う明るさがあった。そしてこれからずっと前向きになれるわけではなく、以前の後ろ向きに戻ったり前向きになるを繰り返し、今までの自分とは別の自分が定着するだろうと言われた。

安定と不安定を繰り返したことで回復できたという今までの経験もあり、カウンセラーの説明は腑に落ちた。だが正常な思考に近づいてるときには理解できるのだが、その時が来ると忘れれしまう。

昨夜の明るさから一転し、私の中に住み続ける悲しみと対峙することにした。

なんで悲しいのかな。
今日は仕事も頑張ったし、すごく食べたかったドーナツも買ってきた。
なのにどうして味がしないのかな。
まさかコロナ?いや、違う違う。これは精神的な問題だ。
なんでこんなに寂しいのかな。
ひとりが寂しいんだ。
本当はひとりでいたくないんだ。
あんなに願ったひとりの時間なのに。
学生時代のバイトのときも本当は一人は嫌なのに、誘われないことが嫌でカッコつけて一人になってた。
本当は仲間に入りたかったんだよな。
小学生の時にクラスになじめなかったときも、一匹狼気取ってたけど内心寂しかったんだよな。
ドーナツを食べたいのではなく、「ドーナツ美味しいね」って言いながら食べたかったんだ。

そんなことに気づいた。
さらに続ける。

King Gnuの「白日」の歌詞でも
「それでも愛し愛され生きていくのが定めと知って」って言ってる。

人間一人では生きられないのかな。
人間は社会的な動物だし物理的には一人で生きることはできないけど、精神的にも一人で生きていくことはできないのかな。

確かに私もカウンセラーさんをこんなに頼ってるってことはひとりで生きているわけではない。
人間て、一人で生きていくことはできないのかもしれない。

でも、私は愛されるのが恐い。
私は確実に自分のことが好きになってる。
自分を愛し始めている。
でも。私は愛されていいのだろうか。
幸せになっていいのだろうか。
幸せになることがここ最近の目標だったのに、いざ幸せや愛されることを目の前にすると二の足を踏んでしまう。
もちろんそれは、これまで自分がそれを経験したことがないからだと分かっている。
でも、愛されることが恐い。
幸せになることが恐い。
何十年も愛情不足で不幸で生きてきたから、いざ幸せを目の前にすると恐怖を感じている。
きっとこれは、ずっとサバイブしてきた人でないと分からない感覚だと思う。
願わくば幸せを受け止められる日が来ることを祈る。
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