幸せは人から奪うもの

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コラム
前回のブログで幸せを受け止められるようになりたいと書いた。
だが自分に向き合ってみると、私は幸せになりたくなかったのだと気づきもある。

私の中で幸せは一つしかなく、それを奪いあうイメージだった。
例えば1つしかないショートケーキをひとりが独占するような。

その自分の原点がどこかを探ると、兄弟間だったと思う。

親の愛情を独占したい、家庭の中で一番目立つポジションを得たい、〇〇したい。
自分が一番目立てば兄弟は唇をかみしめ、兄弟が親の愛情を得れば恨めしくなる。

1つしかないショートケーキを分配すれば、あっちの方が大きいとケンカになる。
「いつも私ばっか損してる」
お互いにそんなことを思い、アイツさえいなければ私が独り占めできたのにという感情も出てくる。

兄弟というライバルに勝つべく努力をしたり抜け駆けをしたりされたりを繰り返しながら
次第に「幸せは人から奪うもの」という誤った考えが自分の頭を占領する。

いつも戦いばかりで疲れ家庭の中の幸せを譲った優しい人は、外の世界でも「幸せは人から奪うもの」「自分が譲れば丸く収まる」という考えから
自分から幸せを求めなくなってしまう。
だって自分が幸せを求めたら戦いになって全員が不幸になるから。
全員が不幸になるなら自分が身を引こう。
そんな行動が身に染みてしまう。

でも本当の幸せって、ひとから奪うものではない。
幸せってひとつしかないわけじゃない。

きっと幸せって、共有するものなのだと思う。
共有することでひとつが複数にもなるし、小さかったものが大きくもなるのだと思う。

だから幸せを恐れなくていいのだ。

自分が幸せになることで他人のものを奪うわけでも他人を不幸にするわけではない。
幸せになりたいのなら、堂々と幸せを掴みに行けばいいだけだ。
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