「今日は自由にしていいよ」「好きなものを選んでね」
そんな優しい言葉をかけられたとき、なぜか心にズシンと重たい石が置かれたような、息苦しさを感じてしまうことはありませんか?
本来なら喜ぶべき「自由」のはずなのに、あなたにとっては、それが「相手が一番望む正解を当てなければならない、終わりのないクイズ」のように感じられてしまう。
「ここで私がこれを選んだら、相手はどう思うかな?」「自由と言いつつ、本当はこっちを選んでほしいんじゃないかな?」
そんなふうに相手の顔色を先回りして読んで、正解を探し求めているうちに、何を選べばいいのか分からなくなって、結局一歩も動けなくなってしまう。
心理カウンセラーとして、僕はそんなあなたの葛藤を、とても愛おしく、そして切なく感じています。
あなたは決して、優柔不断なわけではありません。
それだけ周りの人のことを大切に思い、調和を壊さないようにと心を砕いてきた、とても優しくて聡明な女性なんです。
繊細な気質を持っていると、相手の微かな表情の変化や、言葉の裏にある「本音」のようなものが、どうしても見えてしまいますよね。
だからこそ、「自由」という言葉の裏にあるかもしれない、相手の期待を裏切ることが怖くなってしまうのは、ある意味で当然のことだと僕は思います。
でもね、少しだけ想像してみてほしいんです。
「自由にしていいよ」と言ってくれたその人は、もしかしたら本当に、あなたの「選ぶ姿」そのものが見たいだけなのかもしれません。
あなたが悩みながらも「これがいい!」と決めた瞬間の、その少し照れたような、あるいは嬉しそうな表情を見ることこそが、相手にとっての「正解」である可能性だって、十分にあるんです。
僕のところへ相談に来られる方の多くも、最初は「相手に合わせること」で自分の居場所を守ってきました。
けれど、誰かの正解を生き続けることは、いつの間にか自分の心をすり減らしてしまいます。
自由が拘束に感じてしまうときは、まず「正解なんてどこにもないんだ」と、自分自身に何度も言い聞かせてあげてください。
もし、あなたが間違った(とあなたが思う)選択をしたとしても、それで壊れてしまうような関係なら、それはあなたの優しさに甘えすぎていたのかもしれません。
心理カウンセラーとして、僕はあなたの「何もしない自由」も「迷う自由」も、まるごと肯定したいと思っています。
すぐに自分の好きなものを選べなくても大丈夫です。
まずは「あ、今私はクイズに答えようとして苦しくなっているな」と気づくだけで、心の縛りは少しずつ緩んでいきます。
クイズの解答用紙をそっと置いて、深呼吸をしてみてください。
世界は、あなたが思うよりもずっと、あなたの「わがまま」を待っていますよ。
あなたが「自分のため」に選んだ小さな何かが、いつかあなたを本当の自由へと連れ出してくれることを、僕は心から願っています。