【見て見ぬふり】

記事
コラム
 はっきり言って私は、自分が良くないと
 思ったことは如何なる場合でも口に出す
 タイプであり、職場で疎んじられてきた。
 悪いところがあっても、波風を立てたく
 ない、苦しみたくない、自分の間違いを
 認めたくない、といった歪んだ心理には、
 自分のことなど構わず徹底抗戦してきた。
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 それが先夜、とある商店街を通りかかり、
 自転車に乗った年配の男性が閉店間際の
 バーを覗き込んで「一杯だけいいかな?」
 「ええ、どうぞ」とやり取りをしている
 場面に遭遇した。自転車に乗っていると
 いうことを考えれば当然飲酒運転を注意
 すべきところだが、私はそうしなかった。
 何故か?深夜のことで騒ぎを起こしたく
 なかったのか?、自転車に乗らず押して
 帰るのなら飲んでも問題はないと思った
 のか?、その辺のところは分からないが、
 兎に角、黙って通り過ぎてしまったのだ。
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 事件が目の前で起こっているのに、また、
 起ころうとしているのにそれを無視して
 自分以外に傍観者がいる時には率先して
 行動を起こさない「傍観者効果」という
 集団心理は傍観者が多いほど効果は高い。
 ならば、私の場合は、傍観者は自分一人。
 「傍観者効果」は低く、行動しやすい筈
 なのに、結果的に何も行動をしなかった。
 傍観者が他にもいれば「他の人が騒いで
 いないから大したことではない」と解釈 
 したとも考えられるが、せいぜい「店が
 承知しているのだから任せよう(本人の
 自己責任)」と判断した、というところ。
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 「他の人が騒いでいないから大したこと
 ではない」「自分が注意しなくても誰か
 がする」とは私は考えていないが、自己
 肯定感の低さ故に、「率先して最前線に
 立っていいのか?」という歪んだ遠慮は
 確かにある。傍観者が多ければ多いほど、
 「誰かがやるだろう」ではなく、「自分
 の出る幕ではないな」「自分がやっても
 いいのだろうか?」と考えてしまうのだ。
 これは、アダルトチルドレンの悪い癖だ。
 もう一つには、「目に見える事象のみを
 事実として認識しない」、思い込みでの
 判断を避ける、ということ。「自転車に
 乗らずに押して帰るのかも知れない」と
 考えれば一概に注意することもできない。
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 こうしてみると、「見て見ぬふり」にも
 様々な捉え方があるということが分かる。
 穿った見方をすれば、集団の中で自分を
 主張できなくなっている、という世の中
 の縮図が拍車をかけているとも言えよう。
 「見て見ぬふり」にさよならするために、
 自己肯定感や自己実現欲求は大切である。
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 私が注意しなかった件の男性、あれから、
 バーで飲み、自転車を飲酒運転すること
 なく無事に帰ったか?それだけが心配だ。
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 御閲覧、心より感謝申し上げます。
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