小学校5年生のころ、彼女は学校へ行けなくなった。
理由は、一つではなかった。
友だちとの関係がうまくいかない。
夜遅くまでゲームをして、生活リズムが崩れる。
思春期に入り、心と体の変化についていけない。
本人にも、はっきり説明できなかった。
ただ、朝になると学校へ向かう力が出ない。
気づけば、一日の大半を家の中で過ごすようになった。
ゲームをする。
動画を見る。
またゲームをする。
眠る。
起きる。
同じことを繰り返す。
外から見ると、楽しんでいるように見えたかもしれない。
けれど本人にとって、その日々は明るいものではなかった。
ゲームをしていても、心から楽しいわけではない。
動画を見ていても、見終わったあとに空しさが残る。
「自分は何をしているんだろう」
そう思っても、動けない。
そんなある日、ネット上の友人にすすめられて、彼女は一つの漫画を読んだ。
そこには、困難に追い込まれた登場人物たちがいた。
逃げたいほどつらい状況の中で、傷つきながらも、少しずつ前へ進んでいく人たちがいた。
彼女は、その物語に引き込まれた。
登場人物たちは、最初から強かったわけではない。
弱くて、迷って、失敗して、それでも誰かと出会い、少しずつ変わっていった。
読み終えたあと、彼女の中で何かが変わった。
自分の悩みが小さく見えた、というより、
「こんな自分でも、まだ物語の途中なのかもしれない」
そう思えたのだ。
やがて、彼女は少しずつ学校へ行くようになった。
毎日ではない。
完璧でもない。
でも、陰っていた毎日に、細い光が差し込んだ。
私は、不登校中のゲームや漫画や動画を、すべて悪いものだとは思わない。
もちろん、生活が壊れるほど依存してしまうなら支えが必要だ。
でも、ときに物語は、子どもの心を救う。
大人の説得では届かない場所に、作品の言葉が届くことがある。
子どもが何かに没頭しているとき、それは逃避であると同時に、回復の入口かもしれない。
大切なのは、取り上げる前に、その子が何に心を動かされているのかを見ることだと思う。