高校3年生の春。
彼女の机には、参考書が積まれていた。
英単語帳。
数学の問題集。
赤い付箋だらけの過去問。
模試の判定表。
志望校のパンフレット。
誰が見ても、頑張っている受験生だった。
でも、本人の中では、何かが少しずつ崩れていた。
眠れない夜が増えた。
電車の中で息苦しくなることがあった。
学校へ向かう途中で、体が重くなる日があった。
それでも彼女は、自分に言い聞かせた。
「みんな頑張っている」
「私だけ休めない」
「ここで止まったら終わる」
ある日、学校から帰ってきた彼女は、自分の部屋に入った。
机の上には、いつものように参考書が並んでいた。
その瞬間だった。
胸の奥で、ぷつんと何かが切れた。
「もう無理だ」
そう思った。
それ以降、彼女は学校に行けなくなった。
努力してきた分だけ、崩れたときの痛みは大きかった。
「こんなに頑張ってきたのに」
「どうして最後までできなかったのか」
「自分は弱い人間なのではないか」
家にいても休まらなかった。
外へ出られないのに、部屋にいても責められている気がした。
その彼女に転機をくれたのは、一人の大人だった。
無理に励ますのではなく、まず「つらかったね」と受け止めてくれた。
その人は、あるとき彼女に静かに伝えた。
幸せは、人より上に立つことだけではない。
今できていること、今少し楽になったことに気づくことも、幸せにつながるのだと。
彼女はその言葉で、初めて自分の足元を見た。
眠れる日があること。
もう一度勉強したいと思える瞬間があること。
話を聞いてくれる人がいること。
不登校になった子に、すぐ「将来どうするの」と聞きたくなる大人は多い。
けれど、未来を考える力は、安心の上にしか戻ってこない。
私は、頑張っていた子ほど、休むことを許されるべきだと思う。
努力して壊れた子に必要なのは、さらに努力を求める言葉ではない。
「今は止まっていい」
その一言から、もう一度人生が動き出すことがある。