彼女は、幼いころから「誰か」と比べられていた。
同じ年頃の親戚。
同じ学校の友人。
よくできる子。
うまく振る舞える子。
大人に悪意があったわけではない。
けれど、子どもにとって比較は、少しずつ心の奥に積もっていく。
「そのままの自分でいていい」
そう思えないまま、彼女は私立の学校へ進んだ。
教室には、独特の空気があった。
誰と一緒にいるか。
何を言ってはいけないか。
どんな表情でいれば浮かないか。
それを読み続ける毎日は、彼女にとって勉強以上に疲れるものだった。
最初は、ただ居心地が悪かった。
次に、友だちの輪に入れなくなった。
そして中学2年のある日、学校へ行けなくなった。
それから、時間は部屋の中で止まった。
家族以外と話すことはほとんどなくなった。
外へ出ることもなくなった。
何かが怖い、というより、怖さを感じる力すら鈍っていった。
ただ、日が昇り、日が沈む。
カレンダーだけが進んでいく。
長い年月のあと、彼女は少しずつ専門家とつながった。
心の不安に名前がつき、母親も家族会で学び始めた。
急かさない人。
否定しない人。
「今のあなたのままで、ここにいていい」と言ってくれる人。
そうした人たちとの関わりの中で、彼女の中に、ほんの少しずつ「生きていてもいい」という感覚が戻ってきた。
やがて通信制で学び直し、美術への思いも再び動き出した。
不登校やひきこもりは、怠けではない。
自分を守るために、世界から身を引くしかなかった結果であることがある。
だから私は思う。
子どもが動けなくなったとき、大人が最初にすべきことは、原因探しよりも、比較をやめることだ。
「なぜあの子みたいにできないの」ではなく、
「あなたは、あなたのままで大丈夫」
その言葉が、長い沈黙の中にいる子どもの心を、少しだけ外へ向けることがある。