―子どものSOSを見つめるために、親が手放していいもの―
今の親たちは、情報の中で子育てをしています。
SNSを開けば、子育ての正解があふれています。
「子どもをたくさん褒めましょう」
「自己肯定感を育てましょう」
「親の過干渉はよくありません」
「見守ることが大切です」
「早めの対応が必要です」
「放っておくと手遅れになります」
どれも一理あります。
しかし、親からすると、矛盾した情報がシャワーのように降ってくる状態です。
褒めた方がいいのか。
厳しくした方がいいのか。
見守るべきなのか。
早く介入すべきなのか。
学校へ行かせるべきなのか。
休ませるべきなのか。
その判断に迷い続けるうちに、親自身が疲れ切ってしまいます。
多くの親は、子どもによい教育の機会を与えたいと思っています。
同時に、自分も「よい親」でありたいと願っています。
しかし、SNSではすぐに「毒親」「過干渉」「モンスターペアレント」といった言葉が目に入ります。
子どものために動いているつもりでも、もしかしたら自分はやりすぎなのではないか。
見守っているつもりでも、実は放置しているのではないか。
親は常に不安になります。
その不安の中で不登校が起きると、親はさらに苦しくなります。
学校へ行かせればよかったのか。
もっと早く休ませればよかったのか。
先生に相談すべきだったのか。
家庭で様子を見るべきだったのか。
情報を集めれば集めるほど、何が正解なのか分からなくなることがあります。
けれど私は、不登校対応で大切なのは、情報を増やすことより、目の前の子どもを見ることだと思います。
子どもは今、眠れているのか。
食べられているのか。
笑える時間があるのか。
親と少しでも話せるのか。
学校の話をしたとき、体がこわばるのか。
朝になると体調が崩れるのか。
どんな言葉に安心し、どんな言葉で追い詰められるのか。
この観察こそが、支援の出発点です。
不登校が増えていることは、必ずしも悪い変化だけではありません。
以前なら、泣いて嫌がる子どもを無理やり学校へ連れて行くこともありました。
「行きたくない」と言っても、「甘えるな」「みんな行っている」と押し出される子もいました。
その結果、子どもがさらに追い詰められることもありました。
しかし今は、子どものSOSに気づき、「今日は休もうか」と言える親も増えています。
これは、とても大切な変化です。
学校に行けない子どもが増えた背景には、苦しむ子が増えたという面もあるでしょう。
けれど同時に、子どもが「行けない」と言えるようになったこと、親がその声を受け止めるようになったこともあるのだと思います。
見えなかった苦しみが、ようやく見えるようになってきた。
そう捉えることもできます。
もちろん、休ませればすべて解決するわけではありません。
不登校になれば、生活リズム、学び、人間関係、親の仕事など、さまざまな問題が出てきます。
だからこそ、支援は必要です。
でも、その出発点は「親が正しい情報を全部知ること」ではありません。
子どもの心の声に耳を傾けることです。
情報のシャワーを浴び続けると、親は自分の感覚を信じられなくなります。
けれど、目の前の子どもを見て、「この子は今、本当に苦しんでいる」と感じたなら、その感覚は大切にしていいのです。
親が全部を完璧に判断する必要はありません。
専門家に相談していい。
学校と話していい。
支援機関を頼っていい。
でも、最後に大切なのは、子どもを責めずに見つめる姿勢です。
私は、これからの不登校支援では、親にもっとこう伝える必要があると思います。
「全部の情報に振り回されなくていい」
「完璧な親でなくていい」
「まず、目の前の子どものSOSを見てください」
そのシンプルな姿勢が、情報過多の時代にこそ必要なのだと思います。