同伴登校は、親子にとって「修羅の道」になることがある

同伴登校は、親子にとって「修羅の道」になることがある

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コラム
不登校や行き渋りが始まったとき、最近よく聞くようになった対応の一つに、同伴登校があります。

親が学校の玄関まで送る。
一緒に教室へ入る。
空いている教室で親子で過ごす。
別室登校や付き添い登校をする。

子どもの不安を少しでも軽くするために、親がそばにいる。

一見すると、とても優しい支援に見えます。

実際、最初の一歩として同伴登校が有効な場合もあります。

「お母さんが一緒なら行ける」
「親がそばにいるなら安心できる」

そう言う子どももいます。

親も、学校にまったく行けなくなるよりは、少しでもつながっていた方がよいのではないかと考えます。

けれど、同伴登校は、簡単な支援ではありません。

むしろ、親子にとって非常に大きな負担になることがあります。

毎朝、子どもを起こす。

学校へ行けるかどうか確認する。

子どもの気持ちをなだめる。

一緒に学校へ向かう。

校門で立ち止まる。

教室まで付き添う。

場合によっては、親も学校の中で長い時間を過ごす。

これを毎日続けるのは、想像以上に大変です。

親は仕事を調整しなければなりません。

家事も遅れます。

きょうだいの対応もあります。

自分の体力も削られます。

それでも、子どものためだと思って頑張ります。

しかし、問題は、親が頑張れば頑張るほど、子どもも苦しくなることがあるという点です。

「お母さんが一緒だから行かなきゃ」

「ここまでしてもらっているのに、行けない自分はだめだ」

「お母さんを困らせている」

そう感じてしまう子もいます。

同伴登校は、子どもを安心させるために始めたはずなのに、いつの間にか親子双方を追い詰める仕組みになってしまうことがあります。

大切なのは、同伴登校を美談にしないことです。

「親が付き添えば行けるはず」
「お母さんが頑張れば何とかなる」
「少しでも学校へ行けているならよい」

そう単純に考えてはいけないと思います。

同伴登校は、あくまで一つの選択肢です。

その子に合っているか。

親が続けられるか。

子どもが本当に安心しているか。

学校で過ごす時間が回復につながっているか。

そこを丁寧に見なければなりません。

私は、同伴登校をするなら、最初から「いつまで、何のためにするのか」を考えておく必要があると思います。

学校に行くことだけを目的にしてしまうと、親子は出口を見失います。

同伴登校は、子どもを学校に戻すための根性論ではありません。

安心できる環境を探すための、一時的な支援であるべきです。
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