無理に行っても、勉強どころではない

無理に行っても、勉強どころではない

記事
コラム
同伴登校をしていると、周囲から見ると「学校に行けている」ように見えます。

校門をくぐった。

教室に入った。

空き教室で過ごした。

プリントを受け取った。

一見すると、前進しているように見えます。

しかし、実際には、子どもの心はまったく勉強どころではないことがあります。

ある子は、学校に行くだけで精一杯です。

教室の空気が怖い。

廊下で友だちに会うのが怖い。

先生に声をかけられるのが怖い。

何を言われるのか分からない。

みんなにどう見られているのか気になる。

その状態で机に座っていても、授業の内容は頭に入ってきません。

プリントを渡されても、鉛筆を持つ手が動かない。

ノートに課題を書こうとしても、黒い円をぐるぐる描き続けるだけになってしまう。

一見そこに座っているだけで、心の中は不安でいっぱいです。

こういう状態の子に対して、

「せっかく学校に来たのだから勉強しよう」

「プリントだけでもやろう」

「何もしないなら来た意味がない」

と言ってしまうと、さらに追い詰めることになります。

不登校の子にとって、「学校にいる」というだけで、ものすごくエネルギーを使っていることがあります。

大人から見れば、ただ座っているだけに見える。

でも本人にとっては、胸が締め付けられるような時間かもしれません。

同伴登校で大切なのは、学校に行けたかどうかだけを見ることではありません。

学校にいる間、その子がどんな状態だったのかを見ることです。

顔色はどうだったか。

表情は固まっていなかったか。

帰宅後にぐったりしていなかったか。

眠れなくなっていないか。

翌朝、さらに行き渋りが強くなっていないか。

学校に行くことで、子どもの状態が悪化しているなら、それは支援ではなく負担になっている可能性があります。

「行けた」という事実だけで安心してはいけません。

本当に大切なのは、子どもが安心して過ごせたかどうかです。

学ぶ力は、安心の上に戻ってきます。

心が緊張しきっている状態では、勉強どころではありません。

まずは、学校にいることがその子にとって安全な経験になっているのかを見直す必要があります。

私は、不登校支援で「学校に行けた」という結果だけを評価するのは危ういと思っています。

学校に行っていても、心が削られている子がいます。

教室にいても、学びからは遠ざかっている子がいます。

大切なのは、登校の形ではなく、その子の心が少しでも軽くなっているかどうかです。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す