人は目を閉じているのに、世界を知ろうとすることがあります。
そのやり方には、見えなくても伝えようという優しさもあれば、
間違った方向行ってしまう怖れもあります。
見えないものに耳を澄ませ、聞いた言葉で絵を描くみたいに。
たとえば、誰かに目隠しをして、どこかの公園に行くとしましょう。
そこで耳元で囁きます・・・
「ここは有数のパワースポットですよ」と。
目隠しをされたままの人は、
その言葉を手がかりに、神聖さやみなぎる力を感じるかもしれません。
それもまた、人の持つ力のひとつです。
信じるというのは、見えない何かに心を開くことでもあるからです。
でも、もしほんの少しでも目を開いてみたなら、
そこにあるものは、言葉以上にまっすぐに届いてくる。
それがたとえ公園であっても、パワースポットであっても、
「どこにいるのか」は、自分自身で感じ取ることができます。
信じることは、大切な時もあります。
けど、自分で見ることは、それ以上に自由をもたらします。
目を閉じている人に、何かを一生懸命伝えようとしても、
本当に伝えたいものは、そのままでは届かないこともあると思います。
目を開ければ、世界はそこにあります。
お互いが目を閉じていれば、
世界も、心も、すれ違ったままです。