「国家の品格」のp146「国際社会はオーケストラのようなもの」とアリストテレスの議論からヒントを受け、AI時代の人間の本質について考えてみました

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「国家の品格」のp146「国際社会はオーケストラのようなもの」とアリストテレスの議論からヒントを受け、AI時代の人間の本質について考えてみました

・p146, 147「国際社会はオーケストラのようなもの、アリストテレスにも通ずる考え?」→ここに着想を得ました。
アリストテレスの正義観

そもそもTEDトーク
The lost art of democratic debate
Michael Sandel |
TED2010
• February 2010



にもあるアリストテレスの考えを整理すると、「その人にふさわしいものを与えるのが正義だ」という考え。(justice means giving people what they deserve.)大切なのは、誰に何を与えるべきか、という話。(The real questions begin when it comes to arguing about who deserves what and why. )

フルートの例とその本質

フルートの例→最高のフルートは誰に渡るべきか?→最高の走者に渡るべき。理由→良い音楽を奏でて皆が幸せになる、からではなく、「フルートの目的は上手に演奏されることだから」(that's what flutes are for -- to be played well)

本質と目的の決定者
(ここで疑問があるとしたら、このもっともらしい本質や目的は、誰が決めるのか?

「人間に利するため」の視点
どうやって決めて、どうやって人々の合意を得るのか?→なぜ人間中心でなく、あくまで「モノ」や「活動自体」中心とした視点なのか?その方が、社会に利するから?いやけど、それは副産物の考えだから違うな。なぜだと思いますか?)

モノや活動の起源と目的:フルート・銃・スマホ・結婚などを例に
→人間が社会的動物である以上、本質の定義づけには「社会」が切り離せないと思う。人間が主要な登場人物である以上、人間にとって、という視点は完全無視できないはず。なので、「人間に利するから」という副産物的視点は実は完全に無視できないと思う。そもそも社会に存在する「モノ」や「活動」が自然に生まれたのではなく、人間がなんかしらの理由で開発・生み出したものがほとんどだろうから、そもそもなぜその「モノ」や「活動」が生まれたのか?を考えることは「本質や目的」を考えるヒントになりそうだと思う(すでに「人間がらみ」であることは避けられていない)

→フルートだったら確かに、音楽を奏でると楽しいとか、みんなで踊る際にあると皆を活気づけるとか、そういう理由で作られたと想像するし(逆に誰か楽器の起源や目的を有史以来記録されているのか?)、結婚も安定した社会の形成のために、制度として導入されたように思うし、銃は戦争のため、戦いにおいて相手を打ち負かすためだろうし、スマホは人間の便利な生活向上のためだろうし、あれ、なんだか「人間に利するため」以外の存在意義や開発意義が見出せない気がします。アリストテレスの議論は時代遅れと否定するのは簡単だけど、この「道具全盛時代」にどう彼の議論や目的論的視点を活かせるのでしょうか?

結婚すら日本でさえ 平安時代はバシバシ政略結婚(強制された結婚)(摂関政治 regent politics, regent=a person who rules a country when the king or queen is unable to rule)の時代だった、道長の時代、自分の娘を天皇の妃にしてどんどん自分の勢力を拡大する的な。天皇の親戚になって、政治的発言力を増す。男の子が生まれたら、藤原氏は天皇の祖父扱いになる、政治的発言力を増す。昔は家のつながり優先、今は個人恋愛優先みたいに変遷がある。そんでこの変遷は自然に見える(無常感の日本では特に?) 

原点に立ち返る:問題解決のための再確認アプローチ(SNSや夫婦関係を例に)
→何かしら「モノ」や「活動」に関わる問題が生じた際に、そもそも何だったっけ?というふうに、根源を振り返り、本来の目的に立ち返り、問題整理のために原点に立ち返ることは、問題解決のヒントになるかもしれない。例えば夫婦喧嘩が頻発したとして、そもそも結婚式で永遠の愛をそれに向かう努力やcommitment (注力)を誓った・約束した事実を思い出し、極力話し合い、歩み寄ろうとする原点を再確認できれば、お互いの主義主張をぶつけ合う(ideological food fights)衝突から一歩引いて、関係修復に役立てることができるかもしれない。もちろん常に万能の手法ではないかもしれないが、考慮するべきアプローチの一つかもしれないですね。他にもSNSでは誹謗中傷や分断やフェイクニュースの問題があるが、そもそも人と人が健全に(最低限の公共的配慮やマナーを持って)繋がり情報交換する、が目的であったはずなので(本質的原点を思い返すことで)、行きすぎた誹謗中傷合戦や噂話の類は控えるべきとの原点を再確認できるかもしれない。

「人間の本質をどう活かす? 個性を活かしたい理想とその課題」
ところで人間の本質はなんだろう?→人間に求められる基本姿勢として、それぞれの個性や特質を存分に活かすこと(活かされること)と考えれば(国家の品格p146-147「国際社会はオーケストラ」にあるように)、苦しんでいる人も自分の活用のされ方について考えるきっかけになるかもしれない。良き理解者による根気強い助言や指導、本人の内省や気づき、試行錯誤が大前提だと思うが(「AI革命時代の“幸せな生き方”」議論における落合さんの発言「合わないゲームで勝負させられて、シュンとしてる人がいる」(ニコニコ動画2時間12分あたり))。社会において、人間それぞれの個性や特性の出方、現れ方は異なるので、その異なりを最大限生かされた状態でかつ、最低限の公共的配慮やマナーを持って、各人が行動すれば自然と人間らしい人間社会、に近づくという考えはあまりに楽観的だろうか。最低限のルールを守れないのが人間の性であると考えると、自由や野放しを制限する制度づくりは必要だろう。まさに「最低限のルールを守らせるためのルール」?
戦争はなぜ起きるか考えると、各人が本来受け取るにふさわしいものが何かを考えた結果、双方の正義や論理が衝突してしまった例なのだろう。歴史や文化、宗教、経済、政治的背景が複雑に絡み合うので、簡単に断罪できないし、可能な限り双方の歩み寄り、話し合いが必要だし、両方の事情に精通した第三者機関が公正な判断のために必須だろう。

AI時代と人間の本質、非生産的な営みの価値
AI時代の人間の本質は?→前AI時代との比較→前AI時代は「さまざまな作業を手動で、自分で考えて、行わなければいけなかった、手間も大量だが学びも多かった。ただ無駄に思える苦行のような非生産的な作業も多分に含んでいて、本来の創造力や主体性の障害になっていた感はある」

AI時代「非生産的な手間、ドリル作業、反復作業などは省かれ、AIが代替してくれる時代になった。大事なことは一見非生産的な営みの中にも、人間の本質と思われる創造性、感性、成長、などに関わる要素があることを十分身をもって体験理解した上(現代の圧倒的便利を活用するために、圧倒的便利に至った歴史を理解することで、目の前の圧倒的便利をより効果的に用いると思えるため)(また、圧倒的手間を体感することで、そもそも人間の生物的構造上、人間自体が自身の成長において「圧倒的手間」を通過せざるを得ない痛恨の事実を理解し、人間の成長過程において、手間を省きすぎることが、かえって「反人間的」に陥る恐れがあることを認識するため)(つまり何かを無駄とバッサリ切り捨てる前に、自ら体感によって「何が無駄でどう無駄なのか」を身をもって体験することで、次のより実のある行動につながる、この情報氾濫時代に他者から「無駄」と言われたから、直接的学びを経ずに「無駄」という判断を信じ込むのは、自身で何が「無駄」であるかわかっていない以上、その後も「無駄」の行為を繰り返す恐れもあるため)で、

AIをうまく活用し、作業的な部分を外注することで浮いた時間や労力を、本来注力すべき創造性の発揮(何かに問題が生じた時、すぐAIに解決策を頼るのではなく、自分で考えてみる、という第一歩を人間側が主体的に取ることが、AIとの適切な付き合いのために必要な距離感だと思う)や問題解決の領域に充てる、文学や芸術に触れて、大いに感情を揺さぶられ、情緒を鍛え、物事を功利的な面だけでなく、精神的文化的倫理的側面からも捉える視点を養うことなどが、AI時代の人間性の発揮と思える。
勝手な懸念として、AIに活動の大半を委譲することで、人間活動が知的、頭脳領域に寄りすぎる恐れがあり、動物的本能や衝動性が発揮される場面が少なくなったり、そうした能力や本能を発揮することで生きがいを見出すタイプの人間にとっては活躍の場が縮小され、社会の中で言いようもない疎外感を感じ、孤独や暴発的行為に発展する可能性も考えられる。人間世界にAIを張り巡らすのではなく、各人が送りたい各ライフスタイルを選択できることが重要で、その選択肢が適切に公表されている前提で、どの程度・割合でAIと共に生きていきたいかの裁量は個人に委ねられる自由が保障されるべきと思います。
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