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なぜ聖書を信じる人が減らないか

クリスチャンのなかには、聖書を「かたくなまでに」信じる人が後を絶たないのですね。お前もそうではないかと言われてしまうのですが、ほんとうにガチガチに信じる人が後を絶たない。その理由を私なりに考えてみました。よろしければお読みくださいね。「養老孟司」のような人がいます。もっと前では「立花隆」みたいな人もいました。「知の巨人」などと言われていたものです。「河合隼雄」とか、それから「佐藤優」のような人など、とにかくどの時代にもいたものです。最近の経験ですが、「奥田知志」さんが、このあいだの日曜日に教会ホームぺージおよびnoteで公開した文章を見ました。元総理大臣の国葬を巡る話題でしたが、内容のことが言いたいわけではありません。その記事には、私が見た時点で、85もの「スキ」がついていました。これは多いと思いました。 なにが言いたいかと言いますと、このような「いかにも賢そうな人」に「より頼む」と言いますか、そういう気持ちが、とくに自分で物事を考えられない人に多数いるということです。この現象は、そのように説明するのが最もすっきりするように思われます。「聖書」もそうではないか。自分では物事が判断できない人が、聖書に「より頼んで」、聖書を権威にして必死にしがみついているのではないか。そう思えたのです。これが、「かたくなまでに聖書を信じる人」が減らないと思われる理由です。 いっぽうで、そのような「かたくなまでに聖書を信じる人を馬鹿にする人」もいます。キリスト教内部でもいます。「リベラル派」などと言います。そうでない人を「保守的」などと言ったりします。この「リベラル派か、さもなくば保守的か」という二
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養老孟司 タロットカード 先生の遺したもの

先日YouTubeで養老孟司先生のプログラムを拝見した。我々はこの地球上に遅れてやってきた者で、例えて言うなら、ルールもわからないゲームにぶっつけ本番で強制的に参加している存在だ。このルールはどんなものかを実際には誰も知らない。けれども先に生まれ、生きている人たちがいる。それが「先生」。そして遅れてきた者たちは「後生」と呼ばれている。タロットカードや易、占星術はそれぞれがミステリアスだし、なんですか?それ?と意味がわからないことばかりだった。今もそんなに変わらないけど。ただ、興味を持った幼い頃から、これらが先達が残した智慧であることは知っていたし、今も変わらない。10代の頃は本当に何も知らないし、世界が矛盾に満ちていてこれからどうやって生きていったらわからなかった。だが、カードの1枚1枚には人生の様々な局面や人物などが描かれているし、シャッフルして並べた時にはなんとなくだが今の自分が映し出されている気になる。ただ、時代の流れがとても激しい現代において、かつてのシンボルだけでは賄えないような事態が起きている。これまでの先生たちが残してきてくれたように、後生に受け継ぐべき占いを遺さなくてはいけない気になってる。大きな仕事はできないだろうが、それでもやっておかなくてはならないような気がする。
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