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完璧な人間はいないからこそ、言葉を丁寧に紡ぐ

 この世には厳然として貧富の差が存在します。 しかし、人が社会へと踏み出す就職の場において、不当な差別や格差による不利益は、決して許されるべきではありません。 誰もが公平であるべきその場所で、時に私たちは言葉を誤り、誰かを傷つける「失言」を犯してしまうことがあります。 人はなぜ、本意ではないはずの言葉を口にしてしまうのでしょうか。 その背景には、社会との感覚のズレ、感情の高ぶりによる自制心の低下、そして会話のコントロールを失ってしまう心理の迷走があります。 失言が生まれる瞬間を紐解くと、いくつかの心理メカニズムが見えてきます。 自分の常識を疑えない「感覚のズレと認知バイアス」。 場に流されて本音が漏れる「感情型」。 そして、緊張からパニックに陥る「迷子型」。 これらはすべて、自分の立場への過信や、相手への想像力不足、あるいは行き当たりばったりな無計画さから引き起こされます。 しかし、こうした過ちを犯してしまうのは、何も現代を生きる私たちのコミュニケーション不足だけが原因ではないのかもしれません。 僧侶が行う読経の世界に目を向けてみます。真言宗のお経の経典は、梵字、いわゆるサンスクリット語で書かれています。一文字も間違えず、完璧に読経してこそ、そこに仏の加持力が存在するとされています。 しかし、その聖なる梵字でさえ万能ではありません。長い歴史の中で人が書き写す際、文字を誤ったり、抜け落ちたりしてきました。 意味をたどりながら誤字脱字を直す試みは今も続けられていますが、現在に至っても完全に解決されたわけではありません。 完璧であるべき仏の教えの傍らで、人間が行う行為の限界が垣間見え
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梵字について

今まで、全く関心がありませんでした。梵字です。ぼんじ、と読むことさえありませんでした。関心が無いと、見向きもしない性格が影響しています。それが、急に関心を持つようになりました。ただの変わった文字だろうと、初めは思っていました。ですが、どうやら違うような気がする、と感じ始めました。もしかすると、不思議な力がある文字ではないか、と思いました。そこで、少し調べてみました。色々な文字があるようです。干支に当てはめることができます。十二支が8文字に変わります。ただ、今の私には梵字が読めません。記号の親戚にしか見えません。見えませんが、とても良い文字のように思えます。書き順がどうこう、いう次元に到達していません。書く以前に、読めません。読めませんが、何となく良いと思えます。これが不思議です。そこで、今は読むことすらできませんが、この梵字を身に着けるようにしようと思いました。自分では書くこともできませんので、書いてもらうことにしました。少し変わった和紙に書いてもらいます。販売されていました。カード型のようです。これなら持ち運ぶことができます。とりあえず、届いたら財布にでも入れていこうと思います。神社のお守りと似ている気がします。文字に力がある、これが大切と思います。どいう効果なのかは、文字ごとにあるようです。読み書きできない文字、まさかこの年で知ることになるとは思いませんでした。特殊な言語であれば無視します。しかし、この梵字は特殊かもしれませんが、重要と思いました。勘です。閃きです。良い閃きのときは、調べるようにしています。深入りする前に、基本的な部分までは知るようにしています。無意味であれ
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