完璧な人間はいないからこそ、言葉を丁寧に紡ぐ

完璧な人間はいないからこそ、言葉を丁寧に紡ぐ

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コラム
 この世には厳然として貧富の差が存在します。
 しかし、人が社会へと踏み出す就職の場において、不当な差別や格差による不利益は、決して許されるべきではありません。
 誰もが公平であるべきその場所で、時に私たちは言葉を誤り、誰かを傷つける「失言」を犯してしまうことがあります。

 人はなぜ、本意ではないはずの言葉を口にしてしまうのでしょうか。
 その背景には、社会との感覚のズレ、感情の高ぶりによる自制心の低下、そして会話のコントロールを失ってしまう心理の迷走があります。
 失言が生まれる瞬間を紐解くと、いくつかの心理メカニズムが見えてきます。

 自分の常識を疑えない「感覚のズレと認知バイアス」。
 場に流されて本音が漏れる「感情型」。
 そして、緊張からパニックに陥る「迷子型」。

 これらはすべて、自分の立場への過信や、相手への想像力不足、あるいは行き当たりばったりな無計画さから引き起こされます。
 しかし、こうした過ちを犯してしまうのは、何も現代を生きる私たちのコミュニケーション不足だけが原因ではないのかもしれません。

 僧侶が行う読経の世界に目を向けてみます。真言宗のお経の経典は、梵字、いわゆるサンスクリット語で書かれています。一文字も間違えず、完璧に読経してこそ、そこに仏の加持力が存在するとされています。
 しかし、その聖なる梵字でさえ万能ではありません。長い歴史の中で人が書き写す際、文字を誤ったり、抜け落ちたりしてきました。
 意味をたどりながら誤字脱字を直す試みは今も続けられていますが、現在に至っても完全に解決されたわけではありません。

 完璧であるべき仏の教えの傍らで、人間が行う行為の限界が垣間見えるのです。
 それほどまでに、人間とはもともと「過ちを犯す者」であり、「完璧な者」ではありません。
 聖なる経典でさえ間違える私たちが、日々の会話の中で失言をしてしまうのは、ある意味では人間の不完全さゆえの必然とも言えます。
 だからこそ、私たちは大切な局面で防波堤となってくれる心のマネジメントを意識しなければなりません。
 自分の発言を一歩引いて確認する「メタ認知」を高めること。言葉一つひとつに意図を持つこと。
 そして、自分の「立場」を自覚し、言葉が多すぎる「多言」を慎み、軽率に「他人」を批判しないという、三つの「た」を心に留めることです。
 人間は完璧ではないからこそ、自分の言葉に責任を持ち、より丁寧に、慎重に紡いでいく。
 誰もが尊厳を守られる社会であるために、その小さな自戒の積み重ねが、今求められているのではないでしょうか。

                         沙門蒼俊  合掌
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