【普通のエッセイ】夜汽車が魔法を失った日

【普通のエッセイ】夜汽車が魔法を失った日

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コラム
 かつて誰もが日常の延長線上で楽しめた、夜汽車の旅。
 ふと気がつくと、あの頃に感じていた胸の高鳴りは、どこへいてしまったのでしょうか?
 その背景を紐解いていくと、時代の移り変わりと、自分自身の変化が見えてきます。

 まず大きな理由は、寝台列車という存在そのものの変化です。
 かつて一般の人が気軽に旅情を味わえたブルートレインは、新幹線や高速バスとの競争、車両の老朽化によって、今や姿を消してしまいました。
 現在のトレンドである「ななつ星 in 九州」などのクルーズトレインは、数十万から百万円以上もする、手の届かない超高級ツアーです。
 日常の延長から遠く離れてしまったことで、身近な高揚感を得ることが難しくなりました。

 現在、手軽に乗れる定期運行の寝台列車が「サンライズ瀬戸・出雲」だけになってしまったことも、選択肢の狭まりを感じさせます。
 また、スマートフォンの普及も、私たちの「夜の孤独と冒険」を静かに奪っていきました。

 かつては、ただ暗闇の中を流れる街の明かりをじっと眺めるしかありませんでした。しかし今は、手元の画面を開けばいつでも動画やSNSと繋がることができます。
 ネットを開けば車内の様子や過ごし方のコツが事前にすべて分かってしまうため、ドアを開ける瞬間の「どんな部屋だろう」という未知へのワクワク感も薄れてしまいました。

 外の世界から完全に遮断された「夜の隔離空間」という、寂しさと表裏一体のスリルは、24時間繋がれる安心感によって日常の中に溶けてしまったのです。
 さらに、自分自身の年齢や経験による慣れも、無視することはできません。若い頃は「どこでも寝られる」という勢いだけで楽しめましたが、年齢を重ねるにつれて、「翌日に疲れを残したくない」「揺れや音で眠れなかったらどうしよう」という現実的な不安が先立つようになります。

 安価で設備が充実した現代のビジネスホテルと比べ、狭いベッドや限られた水回り、電波の途切れやすさといった寝台列車ならではの「不便さ」を、ポジティブに楽しむ体力的・心理的な余裕が減ってしまったのかもしれません。
 それと同時に、鉄道全体の効率化も旅情を少しずつ削ぎ落としていきました。発車メロディの統一や効率的な運行管理によって、駅や列車が持っていた特有の泥臭さや情緒は薄れ、ただの「移動ツール」としての性格が強くなっています。

 スピードと効率が重視される現代社会において、時間をかけて移動すること自体を「楽しさ」ではなく「タイムロス」と捉えてしまう心の変化もあるのでしょう。
 もし、もう一度あの頃のワクワク感を取り戻したいと思うなら、少しだけ贅沢な工夫をしてみるのが良いかもしれません。

 あえてスマートフォンの電源をオフにして、車内設備のラジオをかけ、ただ夜の車窓だけをじっと見つめる時間を作ってみる。
 きっと、心が静寂を受け入れて、ワクワク感や様々な埋もれていた感情を、掘り起こしてくれるでしょう。
 あるいは、日本で唯一残された定期寝台「サンライズ出雲・瀬戸」で、あえて「シングルツイン」などの異なるクラスを試してみる。上段は架線ギリギリですから、蒼俊は迷わず上段を選らびます。

 そんな風に、不便さと孤独を自ら手繰り寄せてみることで、かつて私たちを魅了したあの夜汽車の「魔法という名のワクワク感」を、再び取り戻せるかもしれません。

あえて、不自由を選ぶ。

 できるようで、できない現代社会にとって、今だからこそ求められてはいるのではないでしょうか?

                          沙門蒼俊  合掌
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