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この子は、どう生きてきた子どもなのか

新聞の紙面のなかでこんな言葉を見つけた。 「死を照らし出す」大切なことは、「なぜ亡くなったのか」と同時に、「どう生きてきた子どもなのか」ということだ。「生き方が表れていないと、死を照らしだせない」 死を照らし出すとは、亡くなったこと、命を失ったことの重大さを伝えることだ。「生き方が表れていないと、死を照らしだせない」 子ども達が犠牲になる事件が続いている。 報道の中で、どうして亡くなったのかは伝えられる。いじめがあったり、虐待があったり。こうして原因の言葉を連ねるだけでも胸の奥が痛い。 自分が何か出来たわけでもないのに、今こうして普通に暮らせる自分が情けなく憎くなる。私はこの子たちよりはるかに多くの時間を生きることが出来たのに。亡くなったことばかりに目を向けても、その原因を作り出した相手や許した社会を責めるばかりだ。怒りは自分に毒を盛り、触れるだけで身体を震わせ他人を罵る。自分もそこから抜け出せないでいる。苦しさはそれだけで存在しない。そう思いたい。 どこかでしあわせな時間があったことを信じたい。 そうしないと、今こうして書いてる自分が息苦しくなる。 何を思って生きていたのか、どんな苦しさだったのか、それでもうれしいときはあったのか、その子の生きた軌跡を想いたい。そしてこんな言葉も見つけた。私たちに欠けているのは、知らないものについての知識のことなのではなく 知っているものを深く考える能力である。 仏社会学者 エドガー・モラン 「科学の言葉」「深く考える」とはどういうことか。 わからない。 でも、出来るとしたら、 「この子は、どう生きてきた子どもなのか」に目を向けるこ
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