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今日、突如更新された、有料ブログについて、今日は真面目に❗️お話します(´・ω・`(多分)

珍しく単刀直入に言うと俺の「人生」を記したブログです!内容は深いこと言えないけど何故、俺が障がい者になったのか?毎夜、枕を濡らした日々(そっちの意味で濡らしたわけじゃないよw障がい者として、今に至るまで、どんな人生だったのか?(自分が障がい者になっての周りの目線、人との出会いと別れ、仕事へのプレッシャー)とかを、もっと詳しく書いていくつもり(´・ω・`)「そんなの別に聴きたくもねーよ、誰も見ねーから有料にする意味ねーから!」って様々な意見があると思う、俺がこうやってブログを書いたり、出品物の内容も、見る人からしたら「自分に酔ってるだけだろ」って思われてると思う。その通りかもしれんし、俺は自分に酔ってるかもしれん。そう思ってる奴はみんな、「俺を笑えよ?」気が済むまでたくさん笑え。どんなに周りから笑われようと、指さされようと「最後に笑うのは、笑われてる奴なんだよ。」俺と同じ奴がいたら、笑われたって気にすんなw最後は、お前が笑ってやれ!そんで話はそれたけどなんで、有料ブログにしたかって言うと俺に興味を持ってくれて、「こいつ、こんな思いして生きてきたんだ・・・」って、俺という人間を知りたい!って人だけが俺を知ってくれればいいと思ったから!例えばさ、残酷なこと言うけど100人友達がいてもその中で親友になるのって、ほんの一握りでさらに、心割って話せる人って、一握りの中の一部なんだよ。どんな親友だろうと「隠し事」はあるんだよ。心割って話せるやつって100人友達がいても、1人や2人いるかじゃない?俺は100人の友達よりも、1人や2人の「最高の親友」を大事にしたいしだからこそ、全員が全員、俺の事
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「帰れる」場所

私にはいわゆる「実家」がもうありません。母が他界してから早8年。帰れる場所はありません。元々母とは折り合いが悪い、というか何かにつけぶつかりあっていて昔から実家はホッとする場所ではありませんでした。そして幼少期から引っ越しを何回もしたので地元がどこか、と言われてもピンときません。離婚をした母に連れられて行った最終的な地、母の地元では壮絶なイジメや嫌な思い出が多く私にはそこが地元だとは今でも思えないのです。ホッとでき帰れる場所、ってすごく大切で安心感があってリラックスできたり、言いたいこと言いあえたりどんな自分でも受け入れてくれる場所じゃないか、と私は感じるのです。子どものころから欲しかったそんな場所を自分が作るために私も離婚してワンオペになった時自分の息子たちの友達も自分の子供のように受け入れました。息子たちがやっていたスポーツの仲間たちを狭い家だけど6,7人泊まらせては同じ釜の飯、じゃないけど大量のご飯を一緒に食べさせ宿題を一緒にさせたり思い切り遊ばせたり一緒に大笑いしていました。我が家ルールを決め、来た子たちには・家に来た時は「ただいま」という・帰るときは「いってきます」という・食事の配膳を手伝う・食べた食器は各自自分で洗う・ゴミは片付ける・○○ママでなく友ちゃんと呼べ ←強引いい行いをした時には褒め目に余る行動の時はとっつかまえてイジるやっていることはまるで合宿所のおばちゃん状態です。だけど彼らがいつでも「ただいまー」と家に来てくれると私はとても幸せを感じていました。中学、高校くらいになると「親には相談できないから友ちゃん聞いてよ」と言ってわたしにはこっそり相談してくれた
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