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【学習アドバイス】全部投げ出したくなった時の対処法

こんにちは🎵ご覧いただき、ありがとうございます!毎日を目標に、各ジャンルのコラムや経験談をブログにしていこうと思っております。初回は学習ジャンルです🤗最初から大きなテーマですが「全部投げ出したくなった時の対処法」誰でもぶつかることがある局面ですよね。これに関しては、大人になってもあります。最近こういう相談を受けたので、私なりの解決策をお話しします。でもこういう時って友達や身内にも相談しづらいというか「なんて相談したらいいかわからない。。」「相談したいけど相談してバカにされるのも恥ずかしいし」「しても何も解決しない」そういう風に考えてしまっていることがほとんどだと思います。まず一つ。「一度頑張ることを全部やめてみる。」自暴自棄になりがちな時って、他人と比べてしまったり自分の過去の栄光と比べてしまって「こんなに頑張ってるのになんでうまくいかないんだろう。。。」となってることが多いです。頑張ってないなら、結果が出なくて当然なので頑張るのを一旦全部お休みすれば楽になります。そして普段から頑張れる人は頑張らない日々に焦りを感じ再び頑張れるから大丈夫です。次にもう一つ。「誰でもいいから第三者に話してみる」友達や家族は身近すぎるので、真剣にアドバイスしてくれます。でもこういう時って、その真剣さが逆効果😢「そんなことわかってるよ」っていうことを言われて喧嘩になったり。でも絶対溜め込まないほうが解決は早いです。溜め込むのは時間の無駄。こんなの早く解決したほうがいいに決まっているんです。第三者が探せないのなら、私が相談にのります☺️ココナラをそんな風に役に立てられたらいいな、と思います。悩みは自分
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でき太くん三澤のひとりごと 投稿 その22

こんにちは、三澤です。今回は、現在中学1年生のお子さんにアドバイスさせていただいた内容について書いてみたいと思います。その中学1年生は、小学校算数に取りこぼしがあり、私と初めてあった小学6年生のころには、かけ算九九の暗唱があやしい(7の段、8の段などまちがって覚えている)、くり上がり、くり下りの計算も考えればできるけど、スラスラとはできていないという状況でした。こうなると、当然学校の授業はわかりません。授業に参加しているだけで、毎日、毎日「わからない、できない、ダメ」という負の経験をすることになります。毎日このような経験をしていて、「ぼくは(わたしは)すごい子だ!ぼくは(わたしは)なんだってできるはず!」という自己肯定感など持てるはずもありません。毎日そのような経験をしている子は、たいてい「ぼく(わたし)は、どうせ勉強ができないバカだ。頭が良くないんだ」と思うようになるものです。大人だって毎日そのような経験をしたら、きっと同じような感覚を抱くと思います。ただ、この事実を感情を脇に置いて冷静に見てみると、その「思い込み」が、「どうせ勉強ができないバカだ。頭が良くないんだ」という気持ちを増幅させる経験を次々と呼び込んでいるとも言えるのです。そのアドバイスをした中学1年生に、日々どのような毎日を過ごしているのかをインタビューしてみたことがあります。朝は親に怒鳴られながら起こされ、朝食もそこそこに学校に行く。学校では、ほとんどわからない授業を何時間も聞かされ、ため息ばかり。放課後はすぐに帰宅し、夕食までゲーム。夕食が終わったら、ゲームを再開。ゲームをしているとまた親に怒鳴られ、風呂に入
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でき太くん三澤のひとりごと 投稿 その19

投稿 その19私は仕事でスマートフォンをよく使います。スマートフォンで多くの仕事に対応しており、本当に助かっています。私のスマートフォンはリンゴ屋さんの上位モデルなので、持ち運び便利なパソコンといってもよいくらいですね。このスマートフォンが登場したことで、私たちの生活は本当に変わりました。今はスマートフォンがあれば、学校で習うような知識はほとんど検索できると思いますし、現金を使わずにスマートフォンで決済することも増えてきました。大好きな自分の音楽も、CDなど買わなくても、今はほとんどスマートフォンで聴くこともできますし、電車に乗ることもできます。昔とは明らかに変わってきています。今、多くの学校では、先生が教室の前に立って授業を行う一斉授業だけでなく、子どもたちで話し合って問題を解決したり、さまざまな意見を出し合って、それをみんなで検討したりするスタイルの授業や、クロスカリキュラムも取り入れられているようです。このように学校の在り方、授業の在り方が変化しているのは、昔とは社会が代わり、社会が求める人材が大きく変わってきているためなのでしょう。そして、現代社会はずっと同じような安定した時代ではなく、先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態となる「VUCA時代」と呼ばれているようです。この時代において、自己実現できる子を育てていくには、私たちはどうしたらよいのでしょうか。先行きが不透明で、将来の予測が困難な時代でも、自分の人生を謳歌できる子どもを育てていくには、私たちはどうしたらよいのでしょうか。私は、どんなに時代が変わっても変わらないものがあると思います。まずその「変わらないもの」
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でき太くん三澤のひとりごと 投稿 その18

投稿 その18こんにちは、三澤です。今回はめずらしく何を書こうか迷っています。なかなかテーマがきまりません。たいていは配信の1時間くらい前にテーマが浮かび、そこから文章を書きはじめるのですが、今回はいっこうにテーマが浮かんできません。こうなると、変な自問自答が私の中で始まります。「すぐにテーマが浮かばないのは、何も問題意識を持っていないからだ」「問題意識があれば、いくつでもすぐにテーマが浮かぶはずだ」というような自問自答がはじまります。問題意識はもちろんあります。今の日本の教育において、「ああしたい、こうしたい」と思うことはたくさんあります。その中で私ができる範囲で、私がこれまでのノウハウで実践できることは、ひとり一人の子どもの「スタートライン」から学習プログラムを構築することです。そして、子どもたちに「自発吸収能力」の存在を伝えていくことです。私たちには「自発吸収能力」という、教わらなくても「新しいこと」ができるようになる能力があります。子どもはスマートフォンの説明書などなくても、自由自在に扱えるようになりますし、教室に通わなくてもワードやエクセルなどをそこそこ使えるようになってしまう子も少なくありません。まさにこれは「自発吸収能力」での学びです。(この「自発吸収能力」というのは私が作った造語ですので、辞書や教育書には載ってないです)なぜこのことを伝えたいのかというと、その能力を意識的に使うことが、学習効果を最大限に引き出すポイントだからです。私はこれまでの実践経験から、子どもが自分の自発吸収能力を使わないと、思うような学習成果は得られないということを数多く経験してきました。
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でき太くん三澤のひとりごと 投稿 その17

投稿 その17こんにちは、三沢です。この前の「その16」のコラムを読んだご父兄から、以下のようなコメントをいただきました。「今回のコラムには、“成績がなかなか上がらなくても何とかなるよ。だって弟くんは、まだ生まれて10年しかたっていない成長過程にあるのだから”とありましたが、このような許すという気持ち、現状を責めたりしない気持ちで接していくだけでは弟くんは変わりませんよね?」そうですね、このお母さんのおっしゃる通りです。確かにそれだけでは変わりません。ただ、お母さんが現状を必要以上に問題視せずに、「この子ならきっとできるようになるからだいじょうぶ❗️」という気持ちで接することで、弟くんは前よりも「呼吸がラク」になります。今の自分が否定されないのですからね。きっと前よりも集中して学習に取り組めるようになってきます。主体性も出てくると思います。ここで必要となってくるのが、今の弟くんにピッタリ合った学習課題をしっかり選択するという作業です。これがとても大切です。これがしっかりできれば、弟くんは必ず「できる!」ようになってきます。学業不振の原因の多くは、この課題選択ミスにあると私は感じています。そこに今回のお母さんのようなフィルターの問題が絡むことで複雑化していき、「どこから手をつけたらよいかわからない」ようになってきます。仕事柄、プライベートでもよく学習相談を受けることがあるのですが、課題の選択ミスで子どものやる気、自己肯定感を傷つけているケースは本当に多いです。でも、多くの人はそれが原因だとは気づかずに、子どもの能力や、やる気、個性に問題があるのではないかと考えるようになったりしま
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その14さて今回は、私が週1回だけ個別指導をさせていただいているお子さんの話をしたいと思います。今はできるだけ直接指導をする生徒さんは減らして、後輩に任せるようにしているのですが、そのお子さんとは縁あって、私が直接指導をさせていただくことになりました。そのお子さんは今、小学2年生。とても幼く感じるお子さんです。そのお子さんは水曜日に私のところに通ってくるのですが、ようやく私に心を許してきたのでしょうか、昨日は心からの素直な気持ちを言葉にしていました。「それじゃあ、今日も学習をはじめてみようか」「でき太くんの準備をしてみて」と私が言うと、その子は、「どのくらい学習するの? プリント何枚くらい?」「ぼく、勉強は本当にきらいだよーーーーー❗️」と言いました。小学2年生の8月で、まだこんな小さな子が、心から叫ぶように「勉強はきらいだよ」と言う。なんなんでしょう、教育って。なんなんでしょう、勉強って。その子もきっと、今よりもっと小さなときには、「ねえ、これって何?」「どうしてこうなるの?」「どうして雨は降るの?」というように、見えるもの、さわるものに興味、関心があり、キラキラしていたはずです。でもそこからわずか数年で、「勉強はキライだよー」と、目に涙を浮かべて言うようになる。私はこういう子に会うたびに、胸が締めつけられるようになります。この子の場合は、適切なプログラムが提供されておらず、経験不足の指導者に身の丈に合わないことをさせられて、「できない、わからない、まちがえる」という経験をしてきたことで、すっかり自信をなくしていました。こうなると、勉強は自分がダメな子だと見せつけられる
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その12今回は、以前お話した「かけ違い」について、さらにちょっと深堀してみたいと思います。私は父と、とても長い間「かけ違い」がありました。自分の記憶が正しければ、小学校高学年くらいからずっと父が嫌いでした。私の立居振る舞い、学習の仕方、箸の使い方から、食事の仕方、物事との向き合い方など。私といるときには、何かしら小言をいう感じでした。褒められたという記憶はほとんどありません。毎日父と顔を合わせるのが苦痛でたまりませんでした。今、振り返ってみれば、きっと父には、父が理想とする人間像や価値観があり、その理想にわが子を近づけようと一生懸命だったのだと思います。自分が理想とすること、自分が信じていること。これはきっと正しいもので、それをしっかりとわが子に伝えていけば、子育ては成功すると考えていたのではないかと思います。父も若かったのだと思います。ただ、当時の私には父のその一生懸命な思いは、伝わってはきていません。まさに「かけ違い」です。私は小言をいわれるたびに「私は否定されている。なんで否定ばかりするんだろう。いつか家出してやる」と思っていました。いくら正しい価値観でも、いくらすばらしい人間像だとしても、わが子の現状を「否定」から入ると、こういうかけ違いが生じやすくなると思います。もし父が、私の存在そのものを受けていれて、まず私自身を肯定した上で価値観や人間像を伝えてくれていたら、きっと私は素直にその話を聞けたのではないかと思います。そう考えると、私たちがこれから子どもと向き合っていくときに覚えておかなければいけないことは、「否定」は、かけ違いを生むスペシャルソースということです
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その11さて、今回のテーマは「劣等感」です。かく言う私は、劣等感のかたまりでした。子どものころプールの見学が多かったこともありクロールができませんでしたし、算数、数学も苦手でした。というより、勉強そのものが苦手でした。ですから、中学生くらいまでは自己肯定感がとても低い子でした。自分はダメ人間だと思っていましたから。ですが、中学3年生のときのある先生との出会いによって、勉強面での劣等感、苦手意識のほとんどを克服することができました。それによって、驚くほど自己肯定感が向上したのを今でも覚えております。人は、劣等感を克服すると自信を回復できる。劣等感が強ければ強いほど、それを克服すると、その反動で驚くほど自信を回復できる。そういう力学があるように思います。実は、でき太くんの算数クラブには、社会人の会員さんもいらっしゃいます。社会人で会員になられている方の多くは、学生のころの苦手意識を克服することを目的とされているようです。(今はもう退会されましたが、70代の会員の方もいました。戦後の家庭の事情で満足に学習できなかったので、それを取り戻したいとのことでした)「実は社会人になった今も割合のことがよくわかっていない」「分数のわり算で、なぜ逆数をかけるのかわからない」「図形の証明が中学のころ苦手で、その苦手がまだ克服できていない」「数学が本当に苦手で、子どもに”教えて”と言われると、ドキッとする」こういう気持ちひとつ一つを、仕事の合間、家事の合間に向き合って、苦手意識を克服しているようです。最初は自信なげな答案だった方が、苦手を克服していくうちに自信にあふれた答案になっていく。そういう
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でき太くん三沢のひとりごと

今回は、以前のコラムでも書いた「答えをうつす」ということについて、もうちょっと深ぼりしてみたいと思います。子どもが勉強を進めていて答えを写していたら、私たちはズルいことをしているわが子、やったふりをして大人を騙しているわが子に、怒りにも似た感情を持ってしまったり、あまりの悲しさに泣いてしまったりもします。でもこれは、私たちの気持ちが中心であって、私たちの視点からしか「答えを写した」という行為を見ていません。では、子どもの立場から考えると、どうなのでしょうか。ほとんどの子は、答えを写すのはよくないことだと知っていると思います。それでも答えを写してしまう。なにかきっと「原因」がありそうですよね。良くないこととわかっていても、そうしてしまう何か動機があるはずです。ここからは私が子どもだったときの記憶も含まれますが、答えを写すときは、たいてい「やらせ勉強」になっています。やりたくもない、面倒だと思っている学校の宿題。レベルが違いすぎてわからない課題プリント。いつも「将来のために勉強しなさい!」と言われるからシブシブやる勉強。「めんどうだな」と思うようなびっくりする量の夏休みの宿題。成績がよくないから、なんとなく友達と通いはじめた塾の課題。こういう大変で、めんどうで、やらされている感が満載の課題が目の前にあるとき、子どもは早く片付けたいから、答えを写してしまうではないでしょうか。親や先生は、子どものためを思って課題を用意する。でも、子どもはその課題を「やらされている」と感じ、面倒だと思っている。この「かけ違い」があることに私たちが気づいていないと、答えを写したり、ミスした問題をやり直さな
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その8今回はちょっと文体を変えて書いてみました。ひとりごとなら、こんな感じのものがあってもよいかなと思いまして。。。調子にのって書いていましたら、ちょっと長くなってしまいました。お仕事や家事が一段落したところでお読みいただければと思います。人は変わることができないのか。勉強ができない子は、ずっとできない子なのか。答えはノーだ。人は変わることができる。人は成長することができる。ただ、人が変わり、成長していくためには、いくつか条件が必要であるように思う。まず、まわりにいる私たちの常識を見つめ直すこと。もし小学3年生の自分の子どもが5+6のような計算に指をつかっていたら、あなたはどう感じるか。「うちの子、大丈夫かな?」と感じ始めるのではないだろうか。これは小学3年生で小学1年生の問題が満足にできないのは問題だという認識が私たちの中にあるからだ。でも、子どもが10人いればそれぞれ顔が違うように、成長のステップも10人10通り。様々だと思う。そう考えると、小学3年生のときに指を使わないと計算ができない子がいても、それはその子の成長のステップであって、本来は問題ではないはず。それを問題と思うことが、実は子どもの成長の最大の阻害要因になっているのだ。こうして本来は問題ではないことを問題だと思って、自分の子どもを「勉強ができない子」だと思ってしますケースはとても多いように思う。以前私は「5+3」のようなたし算を、指を使って計算する小学5年生のお子さんの学習指導を担当させていただいたことがある。先天的に脳に障害があるとのことで、お医者さんからも、34+36のような2ケタの演算までできるよう
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その7今週もあっという間の1週間でした。子どもの頃にくらべると、1日が本当に短く感じます。朝起きて「朝活」をしたと思ったら、もう夕方。そういえば、5歳の女の子に叱られる某テレビ局の番組で、大人が1日を短く感じるのは子どものころのような「ときめき」をなくして、パサパサになってしまっているからと言っていたような。。。でも私はパサパサになるどころか、年齢をかさねるごとに感性は鋭くなっているというか、かなり涙もろくなっているように思うのです。人から見たら、「え、そんなことで」というようなことで、簡単に泣いてしますのです。自分なりに涙もろくなってしまう原因を考えてみたことがあるのですが、おそらく人生経験をかさねてきたことで、物事の背景をまるで自分のことのようにイメージできるからだと思います。ちょっとしたアニメでも(壮大な鬼退治)、主人公の気持ちやその子を育てた親御さんの気持ちをまるで自分のことのようにイメージし、感じることができ、映画館を出るときには目が真っ赤となっているのです。自分のことのようにイメージでき、感じることができるという共感する気持ち、優しい気持ちは、これから大人になっていく子どもたちには、ぜひ少しずつ身につけていってほしい感性です。以前のひとりごとコラムで紹介した「田植え」の際には、その共感、優しい気持ちがしっかり出ていたように思います。こういう気持ち、感性がこれからの世の中には必要なことのように思えてなりません。これまでの世の中は、どちらかというと自社の利益を優先して、まわりは蹴落としても徹底して利益を追求するという流れだったと思います。しかし、こういう流れももう
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その6さて、今回の「ひとりごと」は、習慣化、しつけのコツです。子どもに新しいことを身につけさせてあげたいとき、このコツをしっかりおさえていくと習慣化しやすくなります。①行動の意味をしっかり伝えるたとえば、でき太のプリントをファイルで管理するときや、自分で丸つけをさせていくときなど、なぜそういう行動が必要なのかという行動の意味をしっかり伝えてあげるとよいです。②必ずお手本を見せるプリントの管理でいえば、ファイリングの仕方、順番などをゆっくり「お手本」見せてあげましょう。お手本を見せてあげたら、今度はそれをお子さんだけでできるようにちょっと練習させてあげてもよいですね。③毎日行う。例外作らない(←これがとても重要)一度はじめたら、できるだけ毎日実施することです。クリスマスでもお正月でも、土曜日でも日曜日でも、必ず毎日取り組みます。多くのお子さんが歯磨きを習慣化できるのは、「例外」がないからです。土日だからやらない、クリスマスだからお休みにするという「例外」がないのです。クリスマスだからといって歯を磨かないお子さんはいませんよね。この例外なく毎日取り組むということがとても重要なのですね。少し話はそれますが、時折、土日だけでき太や他の教科の学習をお休みするというご家庭がありますが、このような「お休み」をする場合は、よほど気をつけていないと、学習のイメージを無自覚のうちにマイナスの方向、つまり「勉強はさせられるもの、つらいもの、大変なもの」という方向に導いてしまうことがあります。とくに理由もなく例外を作ってしまうと、「勉強は先生にさせられて、つらくて、大変。だから土日はお休みする」
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投稿 その4日々学習指導をさせていただいてよくお寄せいただくお悩みのひとつに、「子どもがプリントの答えを写していた」というものがあります。日々コツコツと学習をしていると思っていたお子さんが、「実は答えを写していた」ということがわかったとき、親御さんの多くは大変なショックを受けます。「わが子にうらぎられた❗️」「そんな子に育てたつもりはなかった❗️」という怒り、失望といった感情が湧いてきます。実をいいますと、私は答えを写していたことがある人間です。私は算数が苦手で、完全に「勉強ができない子」でしたので、答えを写すしか生きる術がなかったというのが正直なところです。そのときの自分の内面を振り返ってみると、当時の私は何もわかっていなかったと思います。答えを写すことで、まわりはどう感じるのか、そしてそれを続けていたらどうなってしまうのかという先々のことは、ほとんどイメージできていなかったと思います。めんどうくさいから。「べんきょうしたの?」といつもうるさく言われるから。つかれているから。「わからない」ことが恥ずかしいから。「できない子」と思われたくないから。というように、その場をやり過ごすことしか考えていなかったように思います。私が子どもだったときと今とでは、だいぶ時代は変わりましたが、人間の内面はそれほど変わっていないと思います。今、答えを写してしまう子も、きっとその場をやり過ごすことしか考えていないと思います。私たち大人と違って経験がありませんから、まだまだ近視眼的にしか物事を考えられないのだと思います。さて、子どもが答えを写したのがわかったら、たいてい私たちは怒りますよね。なかには
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その35月下旬、地元で学習指導をしている教室の子どもたちと田植え体験をしました。投稿その1で紹介した知人が、1区画だけ田植えをまかせてくれたのです。「自分たちが日々食べているお米はどのようにしてできているのか」そのことを子どもたちに体験から知ってほしいという思いがあってのことのようです。さて、田植えが始まって30分ほどしたころでしょうか。最初は「これくらいの広さだったら、あっという間におわるでしょ。楽勝ですよ」といっていた子どもたちも、不安定でぬかるんだ田んぼに足をとられることでどんどん体力を奪われ、おしゃべりをする子も少なくなりました。「先生、ちょっとつかれたので少し休ませてもらってもよいですか」という子どもがひとり現れると、そこから1人抜け、2人抜けと、最終的には私とひとりの小学3年生と、ほかの大人のスタッフが数名作業をするだけになっていました。その後しばらしくすると、休憩が終わった子どもたちは、どうやら近くにある小川で遊んでいるようです。このとき私はあえて注意をしたりせず、遊んでいる子どもたちの様子を見ることにしました。なぜなら、そうすることで今日まで私が子どもたちに伝えてきたことがしっかり届いているのかが、はっきり形となって見えると思ったからです。20分ほどしてからだったでしょうか。ひとりの男の子が、「ねえ、〇〇くんだけ残って田植えをしているのに、ぼくたちだけあそんでいるのはまずいでしょ。もどってみんなでやろうよ」と言うと、「そうだね、みんなで戻って、みんなで終わらせよう」と、みんなが田んぼに戻ってきました。私が伝えてきたことは、どうやらしっかり子どもたちに届いて
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でき太くん三沢のひとりごと

投稿 その2先だって味噌作り40年以上というおばあちゃんのご自宅の庭をお借りして、知人の味噌作りのお手伝いをしました。そのお宅はかなり古くからあるお宅のようで、お風呂は「五右衛門風呂」でした。お風呂に入るときには、薪でお風呂を沸かすのです。私はおばあちゃんに、「毎日お風呂に入るたびに薪に火をつけて沸かすのは大変じゃないですか?」と質問をしました。するとおばあちゃんは、「いや、大変なことはないよ。毎日のことだし、当たり前のこと。めんどうとか大変って思ったことはないかな。このほうがあったまるしね」とのことでした。私は、おばあちゃんの返答を聞いて、ちょっと自分が恥ずかしくなりました。なぜなら、「この程度のことであなたはめんどうとか大変て思うんだね」ということが見透かされてしまったような気がしたからです。私だったらたぶん毎日薪でお風呂を沸かすとなったら、「めんどうだな」という気持ちがわいてくると思います。でも、おばあちゃんは「生きていれば当たり前のこと」として、めんどうとか、大変という気持ちはわいてこないのです。ただ淡々と薪を割り、火をおこし、ほどよくお風呂が沸いてきたらゆっくり湯船につかるのです。同じ作業でも、「生きていれば当たり前のこと」と感じているか、「めんどう、大変」と感じているかで、作業の意味が変わってきます。「めんどう、大変」と思っていると、その作業はどんどん苦行となってくるのです。これは、勉強にも同じこといえますね。よく子どもが「めんどう❗️大変❗️」と言うことがありますが、そういう気持ちで勉強すると、勉強は苦行になり、形式的になって学習効果がなくなります。どういう気持ち
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