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見え方の変化

公園に行くと、たくさんの葉っぱが散って落ち葉になった後生き生きとした新芽が出てきていました。そんな中メッセージが届いて、見え方の変化のお話のやりとりをしていました。最近の感覚は・・・見よう見ようとする”体の中にいる自分”が無くなっていく感じです。見よう見ようとする”体の中にいる自分”にも気づきその”自分と感じる体”含めてすべての景色が一つのスクリーンとして広がっている感じ。その中では全ての動きが一つであって分離していない。でも、また、分離した自分として見る全ての動きもその一つの上に現れていることで間違いでも、見えなくなることでもないのですね。昨夜は”マーヤ”という言葉が目に入り調べてみると、幻想ということみたいですね。幻想だからないというよりもそのただ現れている命の動きそのものの上に私たち人が想像し続けている、あると思い込んでいるけれど本当はないという世界のことかなと感じました。分離した自分から見える世界そのものがマーヤ(幻想)ということでしょうか。感覚的ですね*^^*意味づけも見える内容、聴こえる内容も認識する前のそのままの動きそのもの・・・ただただシンプルにこの動きそのものに寄り添っていこうと感じています。
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考えすぎからの脱出法は在るのか?

人間は考える葦だとも古代の哲学者も説いたように,人間というのは考えることができる。ただ,その考えすぎで病むこともあるのだが,テクノロジーが進化しても、「考える力」こそが人間らしさの本質。弱さを抱えながらも、問い続け、悩み、選び取る力がある。それが人間の美しさなのかもしれません。そう考えると結局のところ,カウンセリングも投薬も自己啓発本も気休めに過ぎず,考えすぎは考えすぎのままで良いのではないか??と思う。だって人間だものその考えすぎがあるのが人間である証。
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