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音楽

先日、ココならのサイトで元気がでる曲をつくってもらったのですが、とても気に入りました。音楽というのはとても楽しいものだと改めて感じます。10代、20代の頃はスポーツに熱中していましたが30代を過ぎてくると読書や音楽やそういった事の知識を増やすことが非常に重要なのではないかと感じるようになりました。自分自身の10代、20代を振り返ると自分なりに頑張ったとは思えるのですが、その中でも勉強をワンランク上の事を学ぶこと。またゼミに入らなかったことがもったいないと感じるのでその分今知識を増やす時間を得れた事は非常によかったのではないかと思います。人生100年時代に入り新しい学び直しの時間は必要になってきますが、どのような選択を取るかは個々の判断になります。これからの時代は個々それぞれがどのような選択を取るのか、そんな事が求められるのではないかと思います。私は法学だけではなく、あるきっかけで経済学に興味を持つことができたのは非常によかったと思います。稀少性の配分というミクロ経済学の考え方は今まで全く触れたことがなかったし自分の中ではゼミに入らなかった分、いろんな人達とのチームで作り上げていく経験に乏しかったのではないかと考えそれを今補うことが大切な事なのではないかと自分自身感じています。
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教育とは学校とは何なのか

自分の学生時代を思い出すと学校は肌に合わなかったし勉強は好きだったとはいえない。その中で本当に自分が正しい行動をとれていたのかとたまに考える。教育学についてカントやケラーなどをほんのさわりだが学んでみたが、教育学というのはいかに授業がためになり、子供達が興味を持って学びやすい環境をつくるかという内容を追求する学問のように感じた。私が興味を持ったのは経済学上でいう、貧困層に学問を学ばせる事が格差の解消に本当につながるのかという事だ。もちろん不登校などの問題もあり学校に興味をもち通えるようにすることは大切な事だ。しかし、本当に学びたくともお金の問題で学ぶ事ができない場合は学問自体に興味を持つことは難しいと思う。また貧困層に学問を教える事はパターナリズムにならないだろうか。本人の自主性の元、勉強を教わりにきているのならば必要な事だが、例えば誰かに強制されているとしたらそれはまさに本人の意図がおざなりになっている。今の学校が以前と比べどのように変わってきているのか、文部科学省の資料などを読んでいくと不登校問題などは、昔と変わらず高い水準で推移されているようだ。私も中学から高校までは学校がそれほど好きではなかった。やはり学校の学問それ自体に意味が見出せなかったし、大学で法学を学んでも法学を追求する意義も見出せなかった。結局法の正義を追求してもすべての職種にはお金がからむ。お金が絡めば判断も歪曲する。だったらすべて無償で行うのはどうだろうと考え、ボランティア活動をしてみた。確かに仕事で動くのとは違った感覚があった。仕事で動いている時は当然だがお金の事を考える。眠い朝に頑張って起きるのも、上
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経済学

先日学んだミクロ経済学の授業の中で一番興味深かったのは厚生経済学についてつまり倫理学と密接に関連した経済学の考え方です。倫理、道徳心と経済学、また倫理、道徳心と法学という視点からの論理は非常に興味深い。学生の頃に倫理の授業の中で世界宗教学の歴史に興味を持ったことがあったが今では経済、法学と関連した論理学という分野が非常に興味深く感じる。自らの選択肢が法的には処罰の規定になっていないとしても、道徳的価値観、倫理観を基準に考えるならば、選択肢が正しいのかを再考することは意味のあることでその為の理論を学ぶことの必要性も感じる。哲学は確かに興味深い分野ではあるが、懐疑主義の考え方では思考をなくしてしまう。新しい考え方を自ら発見し、また発掘する事を日々繰り返す事が必要なのではないかと思う。法学というのは先人たちの智慧の集合体であり、法律の全てに従って行動する事は、法は全て私達が創作者であるのだから法に従って行動するのは自らが望んだことだという考え方を学び、新しい思考になった。法の創作者に自らなる為に法を学ぶという考え方が一番自分にとってしっくりくるような気がした。
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