教育とは学校とは何なのか

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コラム
自分の学生時代を思い出すと学校は肌に合わなかったし勉強は好きだったとはいえない。その中で本当に自分が正しい行動をとれていたのかとたまに考える。
教育学についてカントやケラーなどをほんのさわりだが学んでみたが、教育学というのはいかに授業がためになり、子供達が興味を持って学びやすい環境をつくるかという内容を追求する学問のように感じた。私が興味を持ったのは経済学上でいう、貧困層に学問を学ばせる事が格差の解消に本当につながるのかという事だ。もちろん不登校などの問題もあり学校に興味をもち通えるようにすることは大切な事だ。しかし、本当に学びたくともお金の問題で学ぶ事ができない場合は学問自体に興味を持つことは難しいと思う。
また貧困層に学問を教える事はパターナリズムにならないだろうか。本人の自主性の元、勉強を教わりにきているのならば必要な事だが、例えば誰かに強制されているとしたらそれはまさに本人の意図がおざなりになっている。
今の学校が以前と比べどのように変わってきているのか、文部科学省の資料などを読んでいくと不登校問題などは、昔と変わらず高い水準で推移されているようだ。私も中学から高校までは学校がそれほど好きではなかった。やはり学校の学問それ自体に意味が見出せなかったし、大学で法学を学んでも法学を追求する意義も見出せなかった。
結局法の正義を追求してもすべての職種にはお金がからむ。お金が絡めば判断も歪曲する。だったらすべて無償で行うのはどうだろうと考え、ボランティア活動をしてみた。
確かに仕事で動くのとは違った感覚があった。仕事で動いている時は当然だがお金の事を考える。
眠い朝に頑張って起きるのも、上司に怒鳴られるのも我慢してあやまるのも、嫌な配置転換に耐えるのもすべてお金をもらう為だ。仮に法的に正しいと思える行動を常にとったとしても仕事場を首になれば生活そのものができないし、どんな第三者機関であろうとも、自分が仕事場の中ですべて正しい行動をとったなんて証明できるはずがない。
もし客観的に判断するとすれば、それは普段からの行動だろう。常に人にやさしくできていたか。社会的な支持が当人に高くなければ全く受け入れられないだろう。
ボランティアはどうだろう。無償な分、相手が相手を思いやって行動する事が多くなる感覚があった。無償で人がやらないような仕事を自ら進んで引き受けたりしている人もいる。お金の感覚は人を狂わせる。行動の正しさを歪める。経済界は弱肉強食だ。強い者が勝つ世界だから結果を出せなければ当然に降格や解雇を余儀なくされる。嫌なのに会社を辞める判断をつかなくしているのはそこにお金が絡んでいるからだ。お金をくれる人は正しい人、お金をくれる人はいい人だという感覚がそこにあったとしたらその考えをまず改める事が大切だ。
どんな行動もお金さえ払えばすべて正義に肯定されるとすれば、お金持ちが正義という事になる。本当に正しい行動というのはなんなのだろう。ボランティアのすべてが正しいとは思わない。お金がなければ当然に食べていけないからだ。しかしボランティア活動は本来の仕事が持つ楽しさややりがいという本質の部分を再認識させてくれる。
人を罵倒したり蹴落としたり、変に手を回して多数派になる工作をしたり結果を出す為に数字に追われたりそんな事は仕事が持つ楽しさのほんの一部の悪い部分に過ぎない。
仕事というのは正しい人と人とのつながりが社会の中で作り上げていくものなのではないだろうか。義務教育の学校でさえ荒れていた中学校ではカツアゲや煙草などが蔓延し、きちんと授業を受けられる状況もなかった。部活も上納やそんなものが蔓延してまじめにやれる状況じゃなかった。それが自分の義務教育時代だったから、まじめに勉強しているのがおかしく感じた時期があった。それは今思えば当然かもしれない。まわりの人がみんなで集まって楽しそうに話している。そんな中で1人で勉強しろというのでは勉強の楽しさはわからないだろう。先生でさえそんな子達を正す事に翻弄され、勉強の楽しさを追求する事にまで考えが及ばなかったのかもしれない。
それだけどんな地域でどんな人達と過ごすかという事は大切な事だ。大学でさえ本来の学問の意義に到達できなかった。
今思うと経済学というのは非常に大切な学問だと思う。
法学だけでも教育学だけでも足りない。なぜなら世の中のすべての事にお金がからむからだ。法の正しさや教育の正しさだけを追求していてもそれはほんの一部分の事だ。
常に自分は正しい行動を取れているのかをもう一度考える必要がある。
どんなに外からみて間違っていると感じても、当人同士がそれでよければそれすら問題にならない。問題になるのはその事に異議を唱える人がいて初めて問題になる。だから異議を唱えることは悪い事ではないと思う。疑問をもったらどんどん質問すればよいと思う。その事で自分が正しい行動を取れるようになるならそうすべきだ。何も上司や先輩や周りの人達のいいなりになる必要もない。たとえ1人になったとしても自分の正しさを追求することは大切な事だと思う。



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