教育とは一体何か

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コラム
人にものを教えるとは一体どういう事だろう。学校で教える物事というのは社会に出ていく為の基礎だ。基礎をきちんと学ぶ事は最も大切な事だ。
基礎を学ばない内に応用問題は解くことができない。
仮に解けたとしても、社会に出ればどんどんともっと難しい問題にあたっていく。解けなければ自分で責任を取らなければならない。
自分で自分を修正できる力をきちんと身につける必要がある。
それには基礎だけでなくあらゆる分野の知識をもっと身につける必要がある。
正しい選択をきちんとできるようにするには、学力をきちんと上げなければならない。社会は常に選択の連続であり、常に正しい選択をしていくには勉強し続ける事は大切な事だ。
学校にいけないという不登校の問題がある。
私も完全な不登校ではなかったが、どうしても朝早く起きる事が苦手で学校を休みがちだった。不登校のメカニズムは学業適応、友人適応、対教師適応という3種類のストレスとの関連があるとの記事を読んだ。
学校は勉強するところと定義するのなら、学業適応は学校が最も気を遣うべきところだろう。そして学校の勉強が社会のどんなところで必要になるのかを教える事は家族や親の責任だろう。
不登校にはストレス対応としてのコーピングスキルを上げる事、ソーシャル・サポートや周辺の人達の支えが大切な事になってくる。ストレスに対する対応を間違えると子ども達の成長に悪影響を及ぼすのではないだろうか。社会の中には様々な場所があり様々な指導者がいる。誤ったストレス解消法を教える人もいるだろう。学校にきちんと通う努力をした方が社会に出てからもストレス対応はつくだろう。
特に子供達がストレスと向き合う時、周囲の大人は気をつける事が大切だ。不登校は連日の不快感が続くことで不登校に関する安心感が強くなるとの記事があった。学校に行く事の不快感が不登校の原因になっているとすると、まずは学校に行く目的や社会に出てからの仕事に関する関心などの意義をきちんと子供と向き合って教えるのが親の役目ではないだろうか。
勉強するという事の意義がわからずに学んでいたとしても、結局はそれは競争社会の中での点取りゲームになりかねない。
何の為に勉強するのだろう。勉強とはなんなのだろう。社会とはどのような場所なのだろう。自分に合う職業とはなんだろう。
学校にきちんと行けていない子が社会の中で、バランスを崩さないかが心配になる事がある。自分の趣味だけに没頭したり、あるいはストレスの中でその解消方法を間違った方向に持っていかないだろうか。
本当に正しいのは、まずは目上の人をきちんと敬う事だ。会社の上司は企業内での上司であって社会の中の上司ではない。目上の人を敬うという事は人生の先輩の様々な体験を敬う事になると思う。例えば私は戦争体験者に戦争に行った時の話を実際に聞いた時に生との対比を深く考えた。そのような体験を実際に聞くことは人生の目標を定めるのにはとても意義のある事だと思う。
ゲームセンターの銃で撃つゲームをやるよりも、またテレビドラマの中で銃を撃つことをカッコよく扱っている場面を見るよりもよっぽどリアルに感じる。
なぜ戦争は起きたのか、当時の指導者どのように判断し戦争に突入したのか。そういった人達の判断を史料を元に読み解く作業は意味がある事だと思う。
学校とは歴史を学ぶところでもある。先生という先人から指導を受けていると考えれば先人から指導を受けるチャンスを逃さない方がよい。そういったところに学校に行く意義を感じてほしいと思う。

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