学習で経済格差は解消するのか

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もし、お金が全くなかったとして学ぼうという気持ちになるだろうか。まずは仕事をしようという気になるだろう。勉強を学ぼうとする気持ちは学習に興味を持つからであり、義務教育の学習の内に自らの興味を学習の中に見つけて専門分野を開拓する。
経済的にもし恵まれていない中で、勉強に興味をもつとすれば自分の中では経済学が面白いと感じる。
例えば格差がある家庭において英語を学ぶ必要性が多くあるのかどうか、また英語の文法を学ぶ勉強方法に興味を持てるかどうかは疑問だ。
スラングなどを覚えるよりは正しい英語の学習方法、会話を学ぶ事は必要だと思うが、勉強の優先順位としては高いのは、どんな勉強であっても最も基礎になるの国語の能力であり、文章の読解能力だと思う。文章を読む能力が上がれば、人の会話の理解能力が上がるし仕事場の意思疎通もきちんととれるようになるのではないか
古典の授業は重要だと思う。なぜならそれは歴史を知ることになるからだ。日本語の基礎的学力を上げることが経済格差を是正するのではないかと思う。
私は学生時代は漫画が好きだったのでよく漫画を読んだ。しかし漫画を読んでいると文章の読解能力は上がらない。文字を左から右、上から下に読んでいく癖がつかなくなる。漫画は今はもう読まないが、文化として残る漫画は勉強と対比して必要なのだろうか。今は漫画だけでなくyou tubeなどで動画を見る機会も多くなったし、実際に動画を見た方が取扱説明書を読むよりも早く理解できると感じる事がある。
しかし文字を読むという事はすべての勉強の基礎であるし本を読んで損はないと思う。
しかし、街中に溢れている書籍の大半が本来必要のないものなのではないかと考える事がある。今や本でさえ誰でも出版できる時代だ。人の選択があるから出版されるのだろうが本当に必要な本なのかよく考えるべきだと思う。
ニックハノーアやビルゲイツが低所得者の多い地域に何億円も投資しいくら教育に時間を掛けたとしても所得格差は開く一方だったという記事がありました。つまり失敗したのは教育ではなく経済だからという事です。
規則を制定する事で、教育を受けさせる事で経済格差はなくならない。経済格差をなくすには経済を正しい方向にする事が大切なのではないでしょうか。
私は例えば義務教育のレベルの話であっても、国語の能力を上げる事は社会での仕事の中で必要な事だと感じます。上司からの指示が正しく行われているのかを判断する能力、わからない事を正しく質問できる能力などは社会の中で必要な事だろうと思います。
社会の中には一時期ブラックと呼ばれた企業は今でも存在すると思います。そのような企業にもし当たってしまったとしても、自らの行動が正しくそしてトラブルを最も少なくそこから離れるように判断する能力は、自らを守る事にもなります。その判断が遅くなればなるほど、経済的にも肉体的にも厳しくなるのではないでしょうか。
自分にとって合う企業、仕事場としたい企業、そのような企業を早く探せることが経済格差をなくす原因にもなるのではないかと思います。

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