法と経済と教育

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コラム
学生の頃、哲学に少し興味を持ったことがあったが、今やギリシャは経営破綻してしまったし、経済学の授業を受けると、哲学にどっぷりはまる事は危険だと感じる。きちんとしたビジネススクールに通い経済社会の中に身をおいてこそ正しい人間関係がつくれるのではないかと思う。
何の為に生きているのだろうと感じる事がたまにある。それは思春期の頃、学生の頃に感じた事もあるし当時の同調教育の中で、生きる意味や意義を見出せなかったのかもしれない。今の現代は既にSociety5.0の時代に入り、もはや情報化社会のという考え方も古くなった。
様々な情報の中から自分にあったものを選択し融合させ社会的課題を解決する時代に入った。しかし今も昔も教育における様々な問題はなくならない。データをみればむしろ増えているようだ。それが耳や目に入ってこないだけで世の中には様々な問題を抱えている人がまだまだ多くいる。
何が本当に正しいのかは、結局は自分自身で決めるしかない。
以前より多くの選択肢の中で何を決めるかは、周りに誘引され決定していることが多くなった気がする。むしろすべての出来事が誘引で決まっているのではないだろうか。あなたにはこれが合いますよ。とあちこちで誘引されている気すらする。
どんな組織と向き合い、どんな人達と付き合い、どんな団体に所属するかを個々がよく考える事が大切な世の中になってきた。
問題の根幹はその人個人が抱えているものではなく、その人の周りの人すべてが抱えているとしたら、個人個人がどんな事に疑問を持ち、どんな勉強をすべきなのかをよく考え選択することが大切だ。
孤独や孤立は今の時代にはどう映るのだろうか。炎上を恐れる世の中になりむしろ世論を失った個性は淘汰されるようになった。世論とはマスコミや社会が作り上げるもの。その中の情報でさえきちんとしたものを取得しなければ誤った認識が作り上げられる危険性もある。
法は規則を作りあげそれで人を裁くだけでなく、法を作り上げ裁く人達の経済活動でさえも裁く必要がある。法と教育は密接に関係する。特に間違いやすいのは同調教育からはみ出した人達を法で裁くというのは間違いだ。
教育はすべての人に等しく与えられ、個性を尊重する前にまず一人ひとりの人として幸せに生活する事が保障される。教育の中で個人個人の個性が出来上がり世の中に巣立っていく。教育に反発すること、自分なりの意見を持つことも大切な事だ。しかし法により定められている事以外の社会活動は世の中に多く存在し、治安や風紀の乱れへと繋がる。数十年前から始まった規制緩和の時代から人々は住み分けることにより自分の居場所を探すようになった気がする。
それでも世の中から、いじめや貧困や自殺も問題も減る事はない。その理由は一体なんなのだろうか。
それぞれの個人がどんな事に興味を持ちどんな風に人生を生きるか。
生きる意味が見出せない時は歴史を見るのがよいと思う。人がどう生きどう死んでいったかを知ることはまた新たな生きる意味を見出せるようになるかもしれない。自分自身はこれまで比較的自由に自分の人生を歩んできた。しかしその中で1つ足りないと思う事は、もっと上を見ることができていなかったという事だ。もっとよく考えていく事が大切な事なのではないかと思う。歴史は深く学べば学ぶ程面白い。よりいろいろな人の考え方がわかるようになる。
先人の智慧を学ぶ事は今の世の中でも必要な事だと思う。


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