よい子

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コラム
過去の自分の文集を読み返すと、良い子になりたいと思います。という文章が繰り返し出てきた。
良い子とは一体どのような子だろう。文集とは裏腹に中学生の後半から親に反抗することが多くなった気がする。親の言っている事が正しいと感じられなかった事があった。親より周りの人やマスコミの情報やそんな事を正しいと信じてきた結果、親が真に正しい事を伝えようとしてもその事に反抗するようになってしまった。
今考えれば申し訳ないなと感じる事も多い。当時のマスコミや文化はツッパリや反抗を美とし、周りの人達もその方向に流れていたことが多かった。親は都内のマスコミに勤務していた関係上、そのような文化が創られた流行だという事を敏感に察知していたようだったが、当時の自分はそのような事に気付く事ができなかった。自分が良い子になりたいと当時感じていた事は今考えれば間違ってはいないと思う。自分の思考をきちんと身につける前の基礎固めとして言われた事をきちんとこなす能力はどんな社会でも必要だ。教師のいう事をきちんと聞いて生活する事は大切な事だ。煙草や校則違反もそのようなナッジがあり始めて行動するものだ。
コロナ禍の世の中になり、親の役目は今までよりももっと大切になった。子供と親、家族、良い子になりたいと思う子が曲がっていくのは周りの誘引であり行動選択を未熟な内にしてしまうからだ。正しい選択を常に心掛ける事がこれからの世の中に必要な事であり、その為に勉強が必要ならそれは正しい事だと思う。今の世の中は学校選択でさえ、すべて本人達の希望となる。正しい選択をする事ができるかどうか。その事をきちんと考えていきたい。

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