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自叙伝「それでも、生きてる(社会人前期編)」

第一話 「新入社員研修」晴れて私は、自由の身となった。長年の私のコンプレックスだった、貧乏な家からの解放である。これからは、私が一社会人として収入を得て、誰にも指図を受けない、充実した生活を送るのだ。まさか、高校卒業と同時に一人暮らしをすることになるとは夢にも思ってなかったが、いざこうして部屋に一人佇んでいると、心の底から希望が湧き起こってくる。「遂に勝ち取った」振り返れば、母には川から拾ってきた子共と言われ、転校を繰り返し、義父に怯えながら生活し、家は貧乏で、ほぼ毎日同じ服、学校で使う備品は大抵兄のお下がりか貰い物、給食費の滞納なんてしょっちゅう。中学になると反抗期を迎え、顔を合わせれば母と口論ばかり。それは高校になっても続き、母を憎み、こんな家に生まれた自分を呪ったこともあった。それが今はどうだ。備え付けのベッドの上に座り、テレビ、エアコン、ロフト付きで、光熱費込みの、1Kの部屋に、静寂の中ただ一人、佇んでいる。一人になるのは多少怖いものなのかなとも思っていたが、なんてことはなかった。それよりも、あの家から解放された嬉しさの方が圧倒的だった。とは言っても、一人暮らしを始めたのも束の間、就職した会社による、一週間程の泊まり込みの研修が始まろうとしていたので、引っ越し早々、私は勤め先の寮に行くことになった。私が勤めることになったその会社は、今ではかなりの大手になっている。家具や家電、生活雑貨に食品等、幅広く事業を展開し、近年目覚ましい成長を遂げている。そんな会社に、少しの間でも勤めることが出来た自分を誇りに思う。そう、私はこの会社を、2年程で辞めることになる。まぁそれはおいおい
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「四谷大塚・淫行講師」即解雇/逮捕!

9才女子の「下半身動画」を隠し撮りし、自分の「カカオトーク?」で、「小児性愛同志たち?」に堂々と披露し、彼女たちの「顔写真」や「住所」、「氏名」、「親の携帯番号」とかね~、そりゃ~、「塾講師」の立場だったら「履歴書」とか「上申書?」なんかでなんでもわかるよね~(ーー;それをその「性癖仲間たち?」に告げ、「もしなんならレイプしても、皆で襲ってもいいよね~」「あとは、あなた次第だよ~」とか・・・まあ、異常性愛者だね。国が国なら「死刑」もありえる「犯罪」だ!ちょい昔なら「局部切断」もありで、即「宦官(かんがん)」となる。「森」くん。これはかなり悪質だよ~。まだ、犯罪は起こってないって?「もう、犯罪中だよ!」これだけの「資料」があるとねえ~、「いつでも襲撃は、OKだね」しかも、アンタ「誘拐もOKだよ」って仲間たちに「誘導?」しているし~、もうこれはアンタ、あまり気にしてないかもしれんが、「犯罪誘導して、他人に実行の機会を与えている」のじゃ!もうね~、「コドモ拉致(らち)して、その上に親を脅迫し、大金を得る」という最近の「ヤミバイト?」に似た犯罪も発生しうる。もろ、「誘拐」じゃ。かなり前になるけど、SNSで知り合ったぜんぜん無関係の3人のオトコが「カネ欲しさに?」いや「単なるヒマつぶし?」でね~、ある女性を帰宅途中で、拉致して「殺害」したんだ。「名古屋ヤミサイト殺人事件」もうね~、家はすぐ前だった。犯人の「暗証番号」を教えろ!に最後まで抵抗し、アタマをハンマーで殴打され、絞殺されたんだ。「なぜ、彼女は暗証番号を教えなかったのか?」それはね~、彼女とお母さんは「母子家庭」だったんだよ。ずっ
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私は父親不在の母子家庭で育ちました

突然ですが、、 私は父親不在の母子家庭で育ちました 母が足が不自由なのに 女手一つで身を粉にして働いてくれて そんな母に少しでも負担をかけまいと、 小さい頃から 私はなんでも自分で乗り越えようとしてきました いつしか周りから相談されることが増え 人が喜ぶことはなんでもやってきたし、 みんなで力を合わせることも大好きでした でも、そんな頑張り屋の私も、時には疲れちゃいます。。誰も認めてくれない、なんでわかってくれないのっ!って ๐·°(৹˃ᗝ˂৹)°·๐私たちって、誰もが、人から羨ましがられたいしキラキラ輝いている人を見ると妬ましく思えちゃう そんな自分を丸ごと受け入れられたい!!! 誰からも愛されたい!!! そう思っていた私は、意を決してとある海外セミナーに参加しました 2,000人規模の会場で そのメンターは次々と参加者の悩みを一瞬で解決していきました そして、そのメンターと一緒の空間にいると、 なぜだか、自分にも価値があると思える私がそこにいました。 「誰からも愛される私になりたい!」 そう思っていた私の心に、メンターの情熱溢れる矢が刺さった瞬間、 「誰をも愛せる自分になりたい!」 と180度大変化しました! 衝撃の出来事でした(๑°⌓°๑)その後、私は日々の生活にコーチングを取り入れ、 20年以上 行く先々で、お悩み相談を受けて来ました その中で気がついた一番大切なことは、 私たちは、価値があり愛されていい存在だということ 生きたい自分でいて良いし、愛したい自分でいること それができるようになると、不思議と愛される自分になっている こんなシンプルなことがわからずに、ずっと
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自叙伝「それでも、生きてる(中学~高校期)」全三十話

第一話 「中学入学」 暖かな日差し、所々に咲く花、風にそよぐ枝葉、ここぞとばかりに活動を始める虫たち。そんな自然の躍動を感じ始める季節、それが、春…。のはずだ。 が、私はというと、躍動どころか緊張で生命活動が停止しそうである。緊張のあまり、入学当初のことをほとんど覚えていないのだが、一つだけはっきりと感じていたことは、 「先輩怖そう」 だった。当たり前と言えば当たり前だが、小学校とは雰囲気がまるで違っていた。先輩の一部には、髪を茶色に染めていたり、耳にピアスをしていたり、ズボンを腰の辺りで履いていたりと、 「大人になるってこういうことなのか」 と勘違いしそうになるくらい、上級生が大人に見えた。 先輩をジロジロ見るのは程々にして、これから苦楽を共にするであろう同学年に目を移すと、情報通り、クラスのおよそ八割は別学区の小学校の卒業生で、当然、すでに打ち解けている様子だった。少数派の我々は緊張した面持ちで、多数派に入れてもらうべく奮闘した。入学当初から孤立するわけにはいかない。何事も最初が肝心である。最初から浮いてしまっては、イジメの対象になってしまうかもしれない。とにかく暗い奴と思われてはダメだ。小学校で培った、持ち前のお調子者キャラでいこう。と同時に、扱い易い奴と思われてもダメだ。時にはクールに装い、なめられないようにしなくては。 結果、数日後には、何事もなく多数派に仲間入りすることが出来た。 緊張していたのはみんな一緒なのだ。だから打ち解けるのも早い。さっさと打ち解けてしまった方が得なのだ。なにせ、中学生ともなると、教科も難しそうな名前が増え、授業も教科ごとに先生が変わり、生徒
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自叙伝「それでも、生きてる(幼少期~小学校期)」全三十一話

第一話 「拾われた子供」 「ママお金ある?」 貧乏な家に生まれた私は、小さい頃どうしても欲しい物がある時に、母にいつもこうお伺いを立てていた。 その度に、母に言われた。 「金欲しいんだったらオマエの親父に言え」 私の父親は、物心がつく頃には既にいなかった。一、二歳の時に、母の腕に抱かれ、父親が車で去ってくのを見送った様な、そんな映像がわずかながら記憶に残っている。母は私を抱きながら、何かを言っていた。何を言っていたのかは覚えていないが、声のトーンと表情で、この人は怖いことを言っていると思った。母と父の間に何があったのか詳しくは知らないし知りたくもないが、当時の母は相当私の父親を憎んでいたと思う。その憎しみは、当然私にぶつけられた。 「オマエの親父は…オマエの親父は…」と、事あるごとに私に言ってきた。今で言うなら立派な精神的虐待だ。母にそう言われても、小さかった私にはどうしようもなく、見たことのない父親の悪口を延々と聞かされるのだった。 当時私は、母と、七つ上の兄と、ぼろい平屋の貸家に三人で住んでいた。いや、三人で住んでいたのかが曖昧な程、三人での記憶がほとんどない。唯一、家の前で兄と遊んでいた時に撮ったであろう写真が記憶に残っているが、それも今となってはどこかにいってしまった。それほど、当時の兄との思い出は無い。7つも歳が離れていれば当然なのだろう。ただ、写真の中の私と兄は、ピースサインをして、最高の笑顔をしていた。 そんな兄と私は、父親が違う。このことを理解したのはいつなのだろう。わからないが、いつの間にか知っていた。私が母に聞いたのか、母が自ら話してきたのか、どうりで七つも
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離婚しようか悩んでいませんか?

好き同士で結婚したはずなのに…こんなはずじゃなかった…離婚したいけど子供の事を考えると踏み込めない...なんてことを思っている方は多いのではないでしょうか?もともとは育ちも環境も違う人間ですからすれ違う事も長い人生あると思います。ほんとにほんとに悩みますよね・・・・私は子供が3歳の時に離婚しました。私が26歳の時に出会い、大恋愛で交際10ケ月で結婚しました。1年間は子供を作らず楽しもう!と二人で旅行に行ったりほんとに毎日が楽しく、こんな幸せでいいんかな?って思っていました。1年後妊娠し、男の子を出産しました。子供が1歳になる頃から少しずつズレがでてくるようになり、主人の帰りも遅く、帰ってきてもすぐに寝てしまう…休みの日も一日寝ているか、接待だと言ってゴルフに出かけるようになり、育児ノイローゼ気味だった私は毎日イライラし、口を開けば愚痴や嫌味しか言わなくなっていました。そんな頃、義母が精神的な病気になり、一人暮しをしている義母の家に週3回ほど呼び出され、小さな息子を連れて車で片道30分かけて通っていました。私はほんとにクタクタで精神的にも弱ってた時、主人の携帯(当時はガラケー)のメールが入ってきたのに気づき、嫌な予感がして悪いなあと思いながら見てしまいました。嫌な予感は的中で、相手は同じ会社の事務員の子でした。主人が寝てから、主人の携帯でその事務員の子にメールをしました。「旦那が欲しかったらあげるけど」と唐突に問いかけてみました。すると事務員の子は「付きあっています。下さい!」と返信してきたのです!私は怒りと呆れで頭の中がぐちゃぐちゃでした。「じゃ一度ちゃんと話さないと。慰謝料や
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【悲痛】小1男の子がランドセル重いと泣く!それを叱るママ~そして自転車で立ち去る!!

(※ヘッターは先日いただいた珈琲の写真です。このママさんにもリラックスタイムが必要です!!) 先週、とても心が苦しくなる出来事が我が家の目の前で突然始まりました。 小さな男の子とお母さんの激しい言い合いが、突然聞こえてきたので、 思わず聞き入ってしまいました。 言い合いの内容は以下の通りです。 男の子:ランドセルが重いので、お母さん持って! 母親: ランドセルは自分で持つものなので自分で持ちなさい! この平行線のやり取りが、15分は続いていたと思います。 男の子は大声で泣き叫び、母親も負けじと大声で叱っています。 「ランドセル重い~、わ~ん。ママ持って~」 「みんな自分で持ってるの!!!💢」 しばらくたつと、母親の声が聞こえなくなり、代わりに男の子のしくしくとすすり泣く声のみが聞こえてきます。 気が付くと、私は玄関を飛び出し、その子の元へ駆け寄っていました。 そこに、母親の姿はなく、黄色い帽子をかぶった男の子は一人ランドセルの上に覆いかぶさるようにして泣いていました! 泣きはらして、赤くなった顔や体に蚊が集まって来ています(><)! 私はその子から蚊を払い、思わず背中をさすっていました。 すると、数分後、抱っこ紐に2~3歳の男の子を抱えて自転車に乗った母親がすーっとやって来ました。 「大丈夫ですよ。見てますから。」と言う母親の表情は目が吊り上がっていました。私はたまらず、「どうしたんですか?」と母親に声をかけました。 「この子は、もう小学1年生なのに、私がいつもランドセルを持ってあげている。」とのこと。いつもは持ってあげているので、今日は自分でもってほしいといった内容でした。。
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身内がいない母子家庭の人はどうやって生きていましたか?

今はその気になればいろいろと繋がれるツールがありますが、一昔前までの母子家庭のお母さんはもう少し孤独だったように思います。私が子育て真っ只中の時は、まだSNSが普及しておらず(mixiのパソコン版が出たばかりの時代でした…笑)なので、自分と同じように養育費もなく頼れる身内やパートナーもいない環境の中で母子家庭を頑張っている人達は、一体どんな仕事をしてどのように子育てをしているのか。特に私のように10代で出産をして学歴やまともな社会経験も積んでいない母親達は、子供を抱えてどうやって生きているのかずっと気になっていましたが、簡単に知る術がありませんでした。例えば私の場合、離婚を決めた当時は旦那の転勤で地方に住んでいました。離婚する際に元々住んでいた主要都市に家を借りて逃げるように戻って来たのですが、その時点で仕事は決まっておらずこっそり貯めたお金で食い繋ぎながら仕事を探す予定でした。しかし、仕事をする為に保育園へ預けようとしても仕事が決まっていないと認可の保育園に申し込む事が出来ないという問題に直面する事に。(当時はそこまで考える脳ミソ持ってなかった)あと、市にお金を借りるのにも市営住宅へ申請するのにも保証人が必要になるのに、この保証人になってもらえる人がいないという現実もなかなか困ったものでした。結局、無認可の保育園に預けて働き始めましたが、2人で月8万円も保育料が掛かってしまい、世の中は全然母子家庭に優しくないと思ったものです。こんな状況で母子家庭がスタートした事を思い返すと、改めて当時の自分の行いにゾッとします…。私は幸い沢山助けてくれた人がいて(食べ物をくれたり、着る物をく
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その情報は確かですか?離婚について

お読みいただきありがとうございます。何か行動を起こしたい時、情報を得るために何をしますか?・自治体行政に行く・家族や友人に相談する・インターネットで検索するこういったところでしょうか?が!!今朝Twitterに目を通していると間違った情報が多い、多い…!!インターネットの情報と言っても、ホームページやブログ、SNSと色々あります。ご自身の経験を語っているものもあれば、聞いた話や情報の転載などもあります。そして、過去に書かれた記事は今では違った情報になってしまっているものもあります。なので、「間違った情報」という言い方よりも「今の自分に合った情報ではないもの」が多いという言い方の方がいいかもしれません。本格的に離婚を考える前は、なんとなく友人の話を聞いていました。自分ごとに置き換えていない「ふーん」と言った感じです。少し離婚に向けて段階が進んでくると、インターネットで検索しました。「母子家庭」「養育費」「離婚」こんなキーワードを入力していました。弁護士事務所のホームページや引越しサイト、自治体のHPなどが出てきます。私の場合はこんなふうに行動しつつも「子どもがもう少し育つまで」と考えていましたが、しかし突然、夫の方から「年内に出ていけ」と言われましたので、そこからは本格的に自治体の窓口へ向かいました。(まぁ、きっかけになる出来事はありましたが)タイムリミット3ヶ月!ひとり親の相談にのってくれる保健センターでは、無料の法律相談を勧めていただきました。さらに、住居やお金の問題がありましたので、生活支援や福祉のハローワークにも行って相談したらいいよと。貯金なし、親なしの私だったので、頼
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母ひとり子ひとり④

登園拒否息子に腹いっぱい食事を与える。ひとりの親としてトシコができるのは、それだけだった。母ひとり子ひとりの生活では、そんなトシコを足りない部分を補ってくれる人はいない。次々と日常生活の至る所で、ほころびが出始める。その、ほころびは教育や躾では分かり易い形で現れた。年中から年長に上がる時に、私がそれまで通っていた、少し離れた保育園から、近くの保育園に移ることになった。仕事と家事の両立で忙しかったトシコが、わざわざ遠くの保育園に私を通わせていたのには理由があった。それは0歳保育と延長保育があったことだった。5歳になったことで、その縛りが無くなり、ちょうど空きができたことも重なり、市役所から「転園できるが、どうしますか?」と連絡があったらしい。どこまで深く考えていたのかは解らないが、トシコは“生まれてから、ずっと通っていた保育園を移る”という決断を、“送り迎えが楽になるから”という理由で決めてしまう。私は新しい保育園に馴染むことができなかった。ひとりで子育てをしていたトシコを見て育ち、ひとりでトシコの帰りを待っていた私は、そのコニュニティーに馴染もうとする努力の必要性を、知る機会がないまま、この時を迎えてしまった。ゆえに、友達を作るということ自体が、私にとっては未知のものだった。そんな私が友達作りに挑戦しようと思えない決定的な理由があった。それは、私が圧倒的な肥満児だったことだ。40代後半になった今でも思うことがある。未就学児や小学校の低学年の子供は、この世でいちばん正直で残酷だ。思った事をなんでも口にする。想像してみてほしい。もしも、年長になった時、他所の園から移ってきた子が、今
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母ひとり子ひとり①

それが当たり前だった物心がついても、それを不思議だとは思わなかった。 自分の家族は母親だけで、父親がいないことを、おかしいとは思ったことは無かった。 ネコがいて犬がいる。 それと同じような感覚で、両親がいる家庭もあれば、片親の家庭もある。 私にとっては、その程度の違いで、それが当たり前のことだった。私の母トシコは母子家庭であることを、当たり前だと思っていたのだろうか。昭和50年まだ、女性が社会に出ることが、当たり前では無かった時代。サザエさんでもドラえもんでも、お父さんが稼ぎ、お母さんは家事をする。それが当たり前の時代に、父親であり母親でもある、そんな生き方をトシコは選択した。並々ならぬ決意で私を育てていくことを決めたのか、はたまた、適当にどうにかなるだろうと決めたのか…今となっては確認のしようもない。トシコは新聞配達の仕事をしていた。 当時の新聞配達は、朝刊と夕刊の二回配達。 朝刊は夜中の2時ぐらいに出勤をして、夜が明けるまでに新聞を配達し、夕刊は昼すぎに出勤して夕方までに配達をする。 また、新聞代は銀行振り込みではなかったので、配達員が一軒一軒集金にまわっていた。 夕刊の配達前には翌日の朝刊に入れるチラシの準備をするオリコミ当番という業務もあった。 これらの業務をすべてこなすと、親子が暮らすのに十分な金額を稼ぐことができた。 昼も夜もない過酷な仕事だが、学もなく、特別な技術もなく、資格もないトシコが、私を育てる術として、新聞配達をする以外の選択肢は無かったのかもしれない。トシコが仕事から帰ってくるまで、私は家で留守番をしていた。家でひとり待っているのは当たり前だった。淋しい
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子育てで対面する インナーチャイルド

子育ては、自分と向き合う絶好のチャンスです!嫌でも毎日接することが必要ですし大人のように感情をセーブしてはくれません思いっきり、真正面から子どもの感情に対峙しなければならないからです。子育ての中で、こんな声が聞こえてきました。「優しい母親はこうあるべきよ!」「それが出来ない私は失格よ!」「妻としてこう出来ないのは情けないわ夫に、嫌われてしまう!」裁きの声がやまないのです。子どもを傷つけたくなくて、どうあれば正解なのか分からず、かといって俗に言う、自分を赦すって、どう赦していけばいいのか分からず、とうとう床から這い上がれなくなりました。「どうして私だけがこんなに苦しまなきゃいけないの?」そう思いました。「他の人は、みんなよく子育てができている、なのに私は、、、」私を虐待し、愛情深く育てなかった母親のせいだと、家族を憎んだりもしました。あまりに苦しかったので、「魂から物事を考える視点」を実践していきました。ヒーリング(魂を癒すエネルギー)という技術にも出会います。魂の視点から、子供や夫への感情を考察し、ヒーリングをし、自分が癒えていきました。自分がどんな傷を負っていて、どんな信念が魂に入っていて、どんな風に自分を苦しめているのか、体験を通して学んでいきました。自分を癒していく度、徐々に子育ては苦しいものではなくなり、今では本当にありのままでいながら子育て出来る事が幸せでたまりません♡すっごく気持ちいいです!誰かに求められるお母さん像こうあったら子どもに良い影響。。そんな理想ではなく、今では”世界唯一無二の「私お母さん」”像に大満足です♡気になるあなたは、、、↓こちら♪
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動きたいのに、動けない。 やるべきことは、分かっているのに、それができないのはなぜか。

酷いときには、楽しいことでさえできなくなることってないですか? 例えば、楽のしみにしていたお出かけでさえ、その準備が億劫に感じるなど・・・。 その出かけた先で、楽しいことが待っているのは分かるのに、 その手前の準備が億劫で、出かける支度が進まない・・、いや、 もっと詳細に言えば、その出かける準備が自分の思うようにいかないと ストレスになってその準備が進まないなど・・・。 そのような状態は・・・、 やはり相当疲れているのだと思います。 自分の型にはまったネガティブ的思考ですべてを見ていたり、 自分の気持ちを素直に吐き出せないために、いつの間にかストレスが溜まっていて、 ストレスが溜まっている自分にも気づいていなくて、無意識のまま疲れてる・・、というい状態です。朝、布団の中で目が覚めると、"あぁ、仕事行きたくない""あぁ、家事したくない"”子供と向き合いたくない” など。いろんなネガティブ思考のモヤモヤを突き破り、なんとか自分を 奮い立たせてベットから抜け出し、朝の支度を始める・・・。 そんな、毎日を続けてたら、雪だるま式にストレスは溜まる一方でしょう。 ネガティブ的思考が一切なく、何も考えずに、素直に動けたらどんなに楽でしょう。 朝、目覚ましのチャイムと共に、さわやかに起床して 一日のスタートを切れたら疲れないでしょうね。 余計なネガティブ的思考を少しづつでも、取り除きマインドチェンジをしていく方法は・・。 1日に1回は必ず、少しでも自分の好きなことと、きちんと向き合うことです。 自分の好きなこと=趣味などを自然に毎日やってるよ!とか触れてるよ!という方は上記のような重たい気持ち
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親と子供はリンクしている?!

自分が子供の頃は、親の影響ってそんなに受けていないと思っていました。今更思うことですが、自分が親になって、今現在 実感することは、子供は親の影響をとても強く受けているものなんですね。親と子は身体は物理的に離れていますが、気持ちはリアルタイムにリンクしているように感じます。特に、不登校の子供とその親はなおさら。子供は小さい時は親に依存して当然と思いますますが、大事なのは親の気持ちの方で、特に親の無意識が子供に直結しているということを、親は意識しないといけないですね。「親の無意識」を意識するというのは、分かりにくいですが、人の意識は無意識の感情が90パーセントを占めているそうです。自分が口に出して話す内容は、どこか常識や回りを意識した発言をしていると思いますが、無意識の感情は自分が意識してないのに感じている人それぞれの思い癖のようなものです。他人の意識は外から覗くことは出来ませんが、例えばある人がいつもポジティブであるとか、ネガティブであるとか 、その人が特に自分の感情を、回りに話さなくてもその人から気持ちは自然に伝わってくるものです。その自然に伝わってくるその人の雰囲気のようなものの中に無意識は隠れていると思います。特に親密な関係になればなるほど、無意識の存在が深く関わってくるようになります。恋人同士の時はまだよくても、夫婦になると嫌になったりするカップルは、自分の無意識がもろに相手にぶつかっていくので、そこで夫婦間が悪くなっていくカップルとさらに良くなる夫婦と二極化するのではないかな?と私は思っています。話しが横道にそれましたが、子供が親に依存するのは当たり前なので、親は徐々に
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「言えない」が巻き起こす悲惨な現状

「言えない」とは、言えない環境にあるということ。 またはその子の持って生まれた性質もあると思いますが…。子供の頃から、自分の気持ちを言えない子と、素直に言える子と2パターンあるとしたらどうでしょう。「言えない子」というのは、優しい子(気の弱い)、繊細な子、悲観的な子。「言える子」といのは、素直な子、前向きな子、普通っぽい子。だと思いますが。「言えない環境」というのは、親が先回り・過干渉をする親だったり、親の心に絶えず心配事や依存心があったり、夫婦喧嘩が絶えない家庭に育つと子供にとっては「言えない環境」にいることになるでしょう。繊細な性質を持った子が、「言えない環境」に育つとどうなるでしょう。その子はうちに居ても苦しい、外にいても本音が言えないというダブルパンチになってしまうでしょう。せめて「言えない環境」だけでも、取り除いてあげたいと思いますが、「言えない環境」とは親が仕事ななどでずっといない状態も物理的に「言えない環境」になりますね。子供が話したくても話しが出来ない。。これは親として心苦しく思います。ですが、物理的な時間というのは実はあまり関係がなくて、実質的な有意義な時間を親子間で持つことが出来たらいいのだと思います。「言えない環境」というのは親の不安感が作り出していることが多いと思いますので、根本は親が安心感の親になることだと思いますが、まずは積極的に「子供の気持ちを聴く」ことを意識するだけでも良いと思います。そして、徐々に「言える子」にしていく。「言える子」になれば、いじめられたときに、嫌と言えるでしょう。「言えない子」はいじめられても、嫌と言えずにストレスを抱えてしま
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離婚を考える時

好きになって一生一緒にいたいと願って結婚した相手と、離婚を考えるタイミング浮気や借金・DVなど、目に見える程わかりやすい大きな原因がある人もいれば、目にも記憶にも残りづらい程に小さな原因が少しづつ少しづつ積み重なって、離婚という2文字が頭に浮かぶ人もいる。自分に力があれば、頭に浮かんですぐに行動に移す人も多くいる。でもそんなに強い人ばかりでは無い。相手への未練や後悔、離婚後の不安から離婚すべきかどうか悩みながら数年経つ人も大勢いる。悩みながら結局十数年を一緒に過ごす人もいる。離婚は正義でも悪でも無い。「子供の為に我慢しなさい」そう周りから言われて離婚を踏みとどまる人もいる。実際に私もそうでした。専業主婦で手に職も無い、貯金も無いのに住宅ローンひは追われていた。小さな子供を抱えて、結婚していた当時よりも良い生活を送る事は出来ないと思い込み、子供の為に離婚を選択してはいけないと思っていた。何から考えたら良いのかが まずわからなかった。今から抜け出したい。でも抜け出して良いのか、抜け出す術がわからなかった。離婚届を出す時、新しい世界へ行く準備が整った時、私は心からワクワクしていた。離婚は終わりじゃない。新しい自分の始まりです。一人で悩まないで一緒に考えましょう。
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お父さん

2月8日今日は父の誕生日私が9歳の時、目にいっぱいの涙をためて「ごめんな」ってうちを出て行ったお父さんあれから、43年経つね多感な時期、無性に父に会いたかった(育ててくれたのはお母さんなのにね、ごめんね)それでも幸せなことに私は7年前、36年ぶりに父と再会することができた!なぜ、うちを出て行ったのかなぜ、再会できたのかそんなこともいつかココに残せるかな・・・でも今は、朝が来るのを待ってお父さんにメールを送ろう「お誕生日おめでとう、72歳だね久しぶりにまた顔見に行くよ、お父さん」
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中国の連休とお客様とのトラブル

今月中旬から来月2月中旬ごろまでの間で、中国のセラーは春節の連休となります。在庫を仕入れる場合も、無在庫の場合も注意が必要な時期となります。数日の連休で終えるセラーもあれば、15日以上の連休をとるセラーもいます。在庫切れとなった場合は在庫補充が遅れて販売機会を失います。無在庫の場合では、セラーの発送が連休明けとなり、セラーが連休中に受け付けた大量の注文処理に時間がかり、お客様から注文を受けた日から起算すると20日以上経過してから発送となってしまう場合もあります。さらに、連休中や連休明けで中国国内の輸送が停滞してしまい、お客様から注文を受けた日から起算すると、お客様にお届けとなるまでに3ヵ月位かかってしまう場合があります。私が無在庫で販売している経験の中では、1月下旬に連休を開始するセラーに、連休開始前に注文してしまい、セラーの連休明けが2月上旬、発送が2月中旬、連休が原因の停滞と他の原因も重なったとは思いますが、輸送が停滞してしまいお客様に商品がお届けされたのが5月上旬になってしまったことがありました。このようにここまで遅いお届けとなったのは1件だけでしたが、お客様とのトラブルの原因になってしまいます。私の場合はしっかりと告知をしてあったし、お客様が理解をしてくれましたのでトラブルにはなりませんでしたが、告知をしていない場合は、「そんな説明が無かった!」とお客様から言われてしまいます。商品説明等での告知がとても重要となります。取引が多いセラーに対して、連休はいつからスタートなのか、何日間の連休なのか、事前に確認しておきましょう。
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私は母子家庭で育ちました♡

ご訪問ありがとうございます♡今日は私の自己紹介をさせてください(*^_^*)私は現在アラサー主人、息子、義父母、義理祖父母の6人家族(笑)しかも国際結婚でインドネシアに住んでいます。私は小学生のときに両親が離婚しておりずっと母子家庭で育ちました。兄妹がいないので、母とふたりきり。現在の6人家族は私にとってありえないくらいにぎやかで時々とまどいます。笑私が好きなこと、ものはお酒(笑)、辛い食べ物苦手は主人のすね毛です。笑性格は超楽観主義者!そしてどんな世代の方とも仲良くなれるし、すぐに打ち解けられます。80代のご婦人の友達もいる(笑)どうぞよろしくお願いします♡
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