自叙伝「それでも、生きてる(中学~高校期)」全三十話

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第一話 「中学入学」

暖かな日差し、所々に咲く花、風にそよぐ枝葉、ここぞとばかりに活動を始める虫たち。そんな自然の躍動を感じ始める季節、それが、春…。のはずだ。
が、私はというと、躍動どころか緊張で生命活動が停止しそうである。緊張のあまり、入学当初のことをほとんど覚えていないのだが、一つだけはっきりと感じていたことは、

「先輩怖そう」

だった。当たり前と言えば当たり前だが、小学校とは雰囲気がまるで違っていた。先輩の一部には、髪を茶色に染めていたり、耳にピアスをしていたり、ズボンを腰の辺りで履いていたりと、

「大人になるってこういうことなのか」

と勘違いしそうになるくらい、上級生が大人に見えた。

先輩をジロジロ見るのは程々にして、これから苦楽を共にするであろう同学年に目を移すと、情報通り、クラスのおよそ八割は別学区の小学校の卒業生で、当然、すでに打ち解けている様子だった。少数派の我々は緊張した面持ちで、多数派に入れてもらうべく奮闘した。入学当初から孤立するわけにはいかない。何事も最初が肝心である。最初から浮いてしまっては、イジメの対象になってしまうかもしれない。とにかく暗い奴と思われてはダメだ。小学校で培った、持ち前のお調子者キャラでいこう。と同時に、扱い易い奴と思われてもダメだ。時にはクールに装い、なめられないようにしなくては。

結果、数日後には、何事もなく多数派に仲間入りすることが出来た。
緊張していたのはみんな一緒なのだ。だから打ち解けるのも早い。さっさと打ち解けてしまった方が得なのだ。なにせ、中学生ともなると、教科も難しそうな名前が増え、授業も教科ごとに先生が変わり、生徒会なるものもあり、部活動もしなければならない。入学早々バタバタなのだ。だったらここは、さっさとクラスで一致団結だ。

ん?部活動か…。何をやればいいんだろう…。

小学校での金管バンドの経験を活かして、吹奏楽部にでも入ろうか…。いや、でも…。ちょっと暗そうなイメージがあるんだよな…。じゃあ大好きな将棋部か?いや、でもちょっと暗いイメージが…。
すると、同じ小学校だった友達が話しかけてきた。

「一緒にバスケ部に入らない?」

バスケ部か…。
そういえば、兄がバスケ部だった。プレーしている姿は見たことが無かったが、写真は家に飾られていた。写真の中の兄は、さわやかでスリムな体型だった。さぞモテたであろう。小学校の時は太っていたのに。
…そうか、バスケをして瘦せたのか。俺もそろそろ痩せなくては。いっちょやってみるか。
ちょうどその頃は、かの名作スラムダンクが連載中の時と重なっていた上に、NBAではマイケルジョーダン率いるシカゴブルズが大活躍と、バスケット界が非常に盛り上がりを見せていた時だった。
私はこうして、図らずも兄の後ろ姿を追う事になった。
第二話 「入部」

学校生活は、順調な滑り出しだった。授業は一気に堅苦しく難しくなったが、元々勉強が好きだったこともあり、ついていけそうだ。クラスは、正直どんなメンバーだったかなかなか思い出せないのだが、思い出せないということは、私にとってはその程度ということだろう。この中学時代は、ほぼ部活仲間と行動を共にしたと言ってもいいくらい、部活に明け暮れていた。

バスケ部に入った一年生は、二十人から三十人くらいだっただろうか。二、三年生の先輩も合わせると、六十人から七十人くらいになるだろう。これぞ、「スラムダンク」効果だ。我々一年生は、入部してしばらくの間、とにかく走った。授業が終わり放課後になると、体育館に行き、運動着に着替え、ひたすら学校の周りを走った。三キロ程の道のりを十周ぐらいしただろうか。最初の一、二か月ぐらいはこればかり。とにかく体力作りだった。中にはさっそく嫌になってサボり出す人もいたが、そういう人に限って、センスがあるものだ。そもそも、小学校の時に既にクラブ活動でバスケットを経験している人もいた。その人からすれば、ただ走っているだけなど苦痛だろう。無論、私は生粋の初心者で、まだシュートすら打ったことがない。そんな未経験者は、まずはとにかく走って体力をつけるしかないのだ。

今思えば、この時点でよく辞めなかったなと思う。走るのが特別好きだったわけでもないし、バスケットに対して思い入れがあるわけでもない。単に、兄がバスケットをやっていた。それだけの理由だ。
おそらく、今辞めた所で、他にすることもないし、家に居るのが苦痛だったからだろう。

そんなバスケ部の顧問は、忘れもしない、冗談ではなく、ゴリラのような見た目の人だった。とてもじゃないが、優しそうには見えない。迫力があり過ぎる。現に、一年生が体育館の外で着替えていると、体育館の中から怒号が聞こえてくるのだ。なんでも、若い時にそこそこ有名な選手だったようで、バスケ愛が相当お強いようだった。怒号を初めて聞いた時は、部活選びを間違えたかと思ったが、その時はそこまで気にしなかった。

バスケ部には、朝練もあった。朝練と言っても、やはりここでも我々初心者は、校庭をひたすら走ったり、先輩が打ったボールを拾い、先輩にパスをするだけという、修行が待っていた。でもまあ、ボールに触れるだけ良かった。初めて触れるバスケットボールは、私を興奮させた。初心者丸出しの高揚感である。
幸いな事に、先輩方の中には、いわゆる「不良」と呼ばれるような人はいなかった。それもそのはず、あの顧問の前で下手な真似をしようものなら、怒号だけでは済まないだろう。現に、この顧問は、勉強もしっかりしなさいと言っていた。生活態度をしっかりすることが、良いプレーにも繋がるとの事だ。この辺は、いかにも教師といった感じだ。

こうして、部活を中心にして、学校生活が回り始めた。

家に帰ると、もうクタクタで、晩御飯を食べるなり眠ってしまうのが日課になった。そして夜中に起き、宿題があったらやって、また眠りにつく。そして数時間後には朝練。この繰り返しになった。家族との会話はほとんどなくなり、母と会話をしようものなら、ほぼ口論になった。反抗期全開だ。義父は、あまり家に来なくなっていた。ありがたい。二度と来ないで欲しい。が、たまに来る時には緊張が走る。頼むからケンカはやめてくれ。妹は、小学一年生になっていたのだが、この頃の私は、家族のことなどどうでもよく、学校生活を維持するので精一杯になっていた。

おそらくこの頃からなのだろう。
妹に変化が訪れていたのは。
第三話 「血」

妹が万引きをしたようだ。
茶の間で母に説明された記憶がある。
話によると、
妹は、近所の同じ一年生の友達とホームセンターに行き、そこで売っていた駄菓子を、

「これ持ってっていいやつなんだよ」

と友達に言い、お金を払わず持っていこうとしたというのだ。
当然、店員に見つかり、警察に通報され、親に連絡がいき、事態が発覚。
母は、あのクソ親父(義父)の血が流れているせいだ、みたいなことを言っていたが、なにかとこの人は、「血」のせいにしたがる。私に対しても、

「オマエの理屈っぽい所、親父にそっくりだ」

や、

「オマエのその気難しい所、親父にそっくりだ」

みたいなことを散々言われた。
私はこの、妹の万引きの話を聞いた時に真っ先に思った。
違う。万引き自体が問題の本質じゃない。一番の問題は、「平気でウソをついた」ということだ。
誰だって、人に良くないウソをつくのは、ためらいが生じるものだ。だが、妹はそれを平然とやってのけ、友達を騙した。これがどれほど恐ろしいことか母はわかっていない。魔がさしてやってしまった万引きとは訳が違う。自分だけではなく、人も巻き込んでいるのだ。
この妹の「ウソ」に関しては、少し前から気になっていた。
以前、妹に勉強を教えていた時、妹はわからない所があると、怒られたくないからだろう、ふざけてみたり、話題を変えてみたり、探りを入れてみたり、とにかく、逃げる。時にはそんな態度にイライラしてしまい、妹を平手で殴ったこともあった。妹は大泣きである。それが妹を勉強嫌いへと進ませたと思っている。本当に今となっては後悔している。そんな勉強が苦手な妹に対して、またも母は、

「おまえの親父の血のせいだ」

と妹を罵っていた。
私と兄は成績が良かったものだから、妹はなにかと比べられ、とても辛かったと思う。本当に申し訳ない。もちろん母の言う通り、遺伝の影響によるものもあると思うが、それ以上に、自分たちの物差しの範囲内でしか妹を理解しようとしなかったのが根本の原因だ。
そして、いちいち「血」のせいだとわめき散らす母よ、そんなに「血」で決まるというなら、「困った時にはウソをつく」遺伝子はオマエの十八番ではないか。人のことをあれこれ言う前に、オマエだ問題なのは。
「ウソも方便」と、ことあるごとにウソをつき、口裏を合わせるように私達に言い、人を騙し続けているのはオマエではないか。そんなあなたの醜い姿を、妹は小さい頃から目の当たりにしてきたのだ。ウソつきに育てられたら、そりゃあそうなる。当然の結果だ。蛙の子は、蛙だ。

と、今でこそ思えるが、小学一年生にして万引きをした妹と、私は向き合うことを恐れてしまった。母の言うように、義父の遺伝のせいだと思ってしまった。あの時にしっかりと話し合いの場を持っていたら、また違った未来になっていたのだろう。

本当にすまなかった。
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