仏教で言う所の「生かされている」
「保健室まるみ」です。ココナラで電話相談などをしている保健師です。以前にも私は、心理学、精神医学、哲学、宗教、スピリチュアル、占いなど、目に見えない系の世界は、どれが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、最終的にどれも同じ様なことを言ってるし、自分の役にたつならどれでも良いんじゃない?っていう意見をブログに書かせて頂きました。今日はそれ系の話なんですが、お寺とかに良く書いてある言葉で「生かされている」っていうのがあります。愚かな私達は、「自分の力で生きている」と思いがちだが、実は神仏によって「生かされている」のだという風に私は解釈しています。神仏によって私達人間には使命(ミッション)の様なものが与えられていて、それを実行する為に、もしくは経験する為に、私達には期間限定で肉体が与えられ、生かされているのだ、と私は解釈しています。大して勉強した訳でも無いので私の勝手な解釈ですけどね。私が考える全ての人に与えられた共通の使命って、自分の心の声が「それやってみたい」と言ったら、出来る限りやらせてあげる、ってことだと思っています。小さな事で言うなら「ちょっと走ってみたい」「あの人に話しかけてみたい」「あれ食べてみたい」みたいなことだし、大きい事で言うなら「あの仕事がしてみたい」「月100万円稼いでみたい」「あの人と結婚したい」などかな。大きいか小さいかはあくまでも主観ですから人それぞれですけどね。大小どっちでも良いけど、とにかく自分の中の声が「あれやりたい」って囁いてきたら、出来るだけやらせてあげよう、って私、思ってます。それは、仏教で言う「生かされている」につながると思うってことが今言い
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