仏教で言う所の「生かされている」

記事
コラム
「保健室まるみ」です。
ココナラで電話相談などをしている
保健師です。




以前にも私は、
心理学、精神医学、哲学、宗教、
スピリチュアル、占いなど、
目に見えない系の世界は、
どれが正しいとか間違ってる
とかじゃなくて、



最終的にどれも同じ様なことを
言ってるし、
自分の役にたつなら
どれでも良いんじゃない?
っていう意見を
ブログに書かせて頂きました。




今日はそれ系の話なんですが、



お寺とかに良く書いてある言葉で
「生かされている」
っていうのがあります。




愚かな私達は、
「自分の力で生きている」と
思いがちだが、
実は神仏によって
「生かされている」のだ
という風に私は解釈しています。




神仏によって私達人間には
使命(ミッション)の様なものが
与えられていて、




それを実行する為に、
もしくは経験する為に、
私達には期間限定で肉体が与えられ、
生かされているのだ、
と私は解釈しています。

大して勉強した訳でも無いので
私の勝手な解釈ですけどね。




私が考える
全ての人に与えられた共通の使命って、

自分の心の声が
「それやってみたい」と言ったら、
出来る限りやらせてあげる、
ってことだと思っています。




小さな事で言うなら
「ちょっと走ってみたい」
「あの人に話しかけてみたい」
「あれ食べてみたい」
みたいなことだし、




大きい事で言うなら
「あの仕事がしてみたい」
「月100万円稼いでみたい」
「あの人と結婚したい」
などかな。

大きいか小さいかは
あくまでも主観ですから
人それぞれですけどね。




大小どっちでも良いけど、
とにかく自分の中の声が
「あれやりたい」
って囁いてきたら、



出来るだけやらせてあげよう
って私、思ってます。



それは、仏教で言う
「生かされている」につながる
と思うってことが
今言いたいんですけどね。




つまり、
私はこの肉体を自分のものだと
思いこんでいるけれど、
実は
神様から期間限定でレンタルした
着ぐるみみたいなものだと
仮定しますよ。




その着ぐるみから、
「右行きたい、右。
なんかわかんないけど
行ってみたいの!」って言われたら、
それ叶えてあげないと悪いな、
みたいな感じです(笑)
だって
私借りてるだけの人だから(笑)




この考えちょっと
面白くないですか?
面白い上に、
「この考えの基本は仏教のね・・」
なんて言うとなんかもっともらしい。
(うわ~悪い顔してる~)




この考えでいると、
自分がやりたいことをやる!
って時に
ワガママとか自己中心的とか
自分を責める様な罪悪感が
少し減るんじゃないかな
と思って書いてみました。

いかがでしょうか?





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