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すべてのブログから「#正直な鑑定」タグの検索結果

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龍の声が聞こえなかった日

龍を観るとき、いつも言葉が届くわけではありません。姿が観えることはあっても、声として受け取れるものが何もない日があります。先日も、淡い雲の中に龍の輪郭は観えていました。顔の向きも、ゆっくりと動く身体も分かります。けれど、そこに言葉はありませんでした。「何か伝えているのではないか」と耳を澄ませても、聞こえないままです。その静けさを前にすると、つい意味を探したくなります。けれど、聞こえなかったものを、聞こえたことにはできません。声がないことを不足と決めない言葉を待っていると、何も聞こえない時間が長く感じられます。大切な答えを受け取り損ねたのではないか、自分の感覚が鈍っているのではないかと、不安になることもあります。ただ、声がないことと、龍がいないことは同じではありません。その日は姿が観えていました。それでも、声だけは聞こえませんでした。私はその二つを分けて受け取るようにしています。すべてが一度に明らかになるとは限りません。姿だけが観える日もあれば、気配だけが残る日もあります。何も観えない日もあります。どの状態が優れているということではなく、そのとき受け取れた範囲が違うだけなのだと思います。沈黙に言葉を足さない静かな龍を前にすると、「待ちなさい」「進みなさい」といった分かりやすい言葉を当てはめたくなることがあります。しかし、その言葉が本当に届いたのか、自分が望んで作ったのかは、丁寧に見分けなければなりません。その日の龍は、口を開くようには観えませんでした。強い光も、方向を示す動きもありません。ただ雲の中にいて、こちらの問いを聞いているようにも、遠くを見ているようにも感じられました。け
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龍の鱗が一枚だけ光った日

龍を観ていると、全体ではなく、ごく小さな部分だけがはっきりすることがあります。先日観えた龍は、淡い霧の中で身体を静かに伏せていました。色も輪郭も穏やかで、強い動きはありません。そのとき、首元にある一枚の鱗だけが、薄い金色に光りました。光はほんの一瞬でした。周りの鱗へ広がることも、龍の身体全体を照らすこともありません。私はその小さな輝きを観ましたが、何を示しているのかまでは観えませんでした。目を凝らして同じ場所を見ても、光は戻りませんでした。見間違いだったとも言い切れず、繰り返し観えたとも言えない、短い一度きりの光でした。小さな光を大きな答えにしない金色の光というと、幸運や成功を思い浮かべる方もいるかもしれません。けれど、色や輝きだけで未来を決めることはできません。その日の光から、何かが必ず叶うという意味は観えませんでした。小さなものほど、受け取る側の願いが重なりやすいことがあります。「きっと良い合図だ」と思えば安心できますし、「何かを見落としているのでは」と考えれば不安にもなります。けれど、私が実際に観たのは、一枚の鱗が短い時間だけ光ったということです。それ以上の物語を足すと、観えたものより、私自身の期待のほうが大きくなってしまいます。一枚だけ観えたということ龍の鱗は一枚一枚が重なり、身体を包んでいるように観えます。その中で、なぜ一枚だけが光ったのかは分かりませんでした。光の角度が変わっただけなのかもしれませんし、私の意識がそこへ向いただけなのかもしれません。理由が分からないと、答えを探したくなります。しかし、理由を探すことと、理由を作ることは違います。確かめられないものを断定
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