龍を観ていると、全体ではなく、ごく小さな部分だけがはっきりすることがあります。
先日観えた龍は、淡い霧の中で身体を静かに伏せていました。色も輪郭も穏やかで、強い動きはありません。そのとき、首元にある一枚の鱗だけが、薄い金色に光りました。
光はほんの一瞬でした。周りの鱗へ広がることも、龍の身体全体を照らすこともありません。私はその小さな輝きを観ましたが、何を示しているのかまでは観えませんでした。
目を凝らして同じ場所を見ても、光は戻りませんでした。見間違いだったとも言い切れず、繰り返し観えたとも言えない、短い一度きりの光でした。
小さな光を大きな答えにしない
金色の光というと、幸運や成功を思い浮かべる方もいるかもしれません。けれど、色や輝きだけで未来を決めることはできません。その日の光から、何かが必ず叶うという意味は観えませんでした。
小さなものほど、受け取る側の願いが重なりやすいことがあります。「きっと良い合図だ」と思えば安心できますし、「何かを見落としているのでは」と考えれば不安にもなります。
けれど、私が実際に観たのは、一枚の鱗が短い時間だけ光ったということです。それ以上の物語を足すと、観えたものより、私自身の期待のほうが大きくなってしまいます。
一枚だけ観えたということ
龍の鱗は一枚一枚が重なり、身体を包んでいるように観えます。その中で、なぜ一枚だけが光ったのかは分かりませんでした。光の角度が変わっただけなのかもしれませんし、私の意識がそこへ向いただけなのかもしれません。
理由が分からないと、答えを探したくなります。しかし、理由を探すことと、理由を作ることは違います。確かめられないものを断定すると、その言葉が一人歩きしてしまいます。
一枚だけが観えた日は、全体を知った日ではありません。むしろ、分かることの小ささを教えられたように感じました。龍の姿が観えていても、そのすべてを理解できるわけではないのです。
意味が観えないとき
鑑定でも、印象的な色や光が観えることがあります。そこで大切にしているのは、光が観えたことと、その意味が観えたことを分けることです。
今回のように意味までは観えないときは、「一枚の鱗が淡く光りました」とお伝えします。そして、そこから先は分からないと正直に添えます。物足りなく聞こえるかもしれませんが、受け取れなかった意味を、都合よく補うことはできません。
観えたものが美しかったとしても、それを効能や保証には変えません。反対に、光が弱かったからといって、悪い状態だとも決めません。その時点で確かに観えたものを、その大きさのままお伝えしたいと考えています。
小ささのまま受け取る
鱗の光は消えたあと、もう一度現れることはありませんでした。龍は変わらず静かに伏せ、霧の向こうへ少しずつ薄れていきました。
私はしばらく、その一瞬を心の中で確かめました。意味を見つけるためではなく、小さな出来事を小さなまま覚えておくためです。
日常にも、答えになるほど大きくはないけれど、ふと心に残るものがあります。窓に落ちた光、偶然目に入った色、誰かの短い言葉。すぐに意味を決めなくても、その瞬間が静かに残ることがあります。
龍の鱗が一枚だけ光った日も、そうした時間でした。大きな吉兆とは呼ばず、何かの警告とも決めず、ただ一枚の鱗が光った。その小ささを壊さずに受け取ることも、龍を観るうえで大切なのだと思います。