鑑定の中で、龍の姿が大きく観えることがあります。空を渡るように観える日もあれば、雲の奥に輪郭だけが浮かぶ日もあります。
その日は少し違いました。龍は高いところへ向かっておらず、前へ進んでもいませんでした。伏せるように身を低くし、前足の爪だけを静かに土へ触れさせていました。
強く掴んでいるわけではありません。爪の先が、乾いた土の表面にそっと置かれているようでした。私はその光景を観ながら、すぐに意味を決めないようにしました。
地面にいることを、低迷とは決めない
龍という言葉から、多くの方は空や上昇を思い浮かべます。そのため、龍が地面に近い位置にいると、「運気が下がっているのでしょうか」「前へ進めていないのでしょうか」と不安になることがあります。
けれど、その日の龍からは、沈んでいるような重さは観えませんでした。弱っている様子も、何かに押さえつけられている様子もありませんでした。ただ、自分の足元に触れている。私に観えたのは、それだけでした。
高い場所にいないことと、力を失っていることは同じではありません。立ち止まっていることと、道を失っていることも同じではありません。見た位置だけで吉凶を決めてしまうと、そこにない不安まで作ってしまいます。
爪が伝えていたものは分からない
爪の先が土に触れていたからといって、大地の力を受け取っていた、と断定することはできません。これから何かを掴む準備だ、と言い切ることもできませんでした。
龍が何を感じていたのか、その先にどのような動きがあるのかは観えませんでした。鑑定では、印象が強いほど説明を足したくなるものです。しかし、観えた場面が鮮明であることと、その意味まで明らかであることは別です。
だから私は、「龍の爪が土に触れているように観えます」とお伝えし、それ以上を急いで結びつけませんでした。分からない部分を分からないまま残すことも、龍観術では大切にしています。
足元へ戻る時間
相談を受けていると、遠い未来の答えを求めているうちに、今日の自分の状態が見えにくくなっている方がいます。先のことを考えるのは自然なことです。ただ、まだ起きていない出来事を何度も思い描くと、心が現実から少し離れてしまうことがあります。
そのようなときは、大きな決断を探すより、足の裏が床に触れている感覚や、手に持った器の温度、窓から入る風などを確かめるほうが落ち着くことがあります。これは何かを好転させるための特別な方法ではありません。自分が今いる場所を、静かに思い出すための小さな動作です。
龍の爪を観た日、私自身も机の下の床へ足を置き直しました。すると答えが降りてきたわけではありません。ただ、考えを先へ先へ運ぼうとしていた力が少し緩みました。
土から離れる時を急がない
龍はしばらく土に触れたままでした。やがて姿は薄くなりましたが、飛び立つところまでは観えませんでした。
そこに「もうすぐ動く」という約束はありません。反対に、「今は動くべきではない」という命令もありません。観えたのは、龍が自分の重さを確かめるように、爪先を地面へ置いていた一場面だけです。
私たちは、ときどき上を向くことばかりを良いことだと思ってしまいます。けれど、足元を感じる時間にも、その人なりの静けさがあります。何かを始めるためでなくても、次へ進むためでなくても、今いる場所に触れてみる。
その日、龍が見せた姿を思い返すと、私はそれだけでよい時間もあるのだと思います。