龍を観ていると、姿のすべてが同じ強さで現れるとは限りません。顔や前足ははっきりしているのに、身体の後ろだけが霞んでいる日もあります。
その日、龍は細い雲の間を横切るように観えました。頭から胴までは淡い青灰色の輪郭がありましたが、長く伸びた尾の先は風に触れるたび、白い糸のようにほどけていました。
切れて落ちる様子ではありません。消えてしまったとも言い切れません。尾の輪郭と空気の境目が、少しずつ分からなくなっていく。私に観えたのは、その静かな変化でした。
薄くなることを、失うことにしない
輪郭が薄く観えると、「力が弱くなっているのでしょうか」「大切なものが離れていくのでしょうか」と心配されることがあります。けれど、その日の龍から、弱りや喪失を示すものは観えませんでした。
尾は形を保とうとして震えていたわけでも、何かに引かれていたわけでもありません。風の中で境目だけが柔らかくなり、空へ馴染んでいるように観えました。
見えにくくなったことと、なくなったことは同じではありません。姿が変わったことと、悪い方向へ進んだことも同じではありません。観えた変化を、すぐに不安の答えへ変えないようにしました。
どこまでが龍なのか分からない
尾の先を追おうとすると、淡い線は風景の白さに重なりました。ここまでが龍で、ここからが雲だと区切れる場所は観えませんでした。
私は何度か意識を向け直しましたが、輪郭は鮮明になりませんでした。見失ったのか、初めから境目がなかったのかも分かりません。鑑定では、分からない部分を埋めるために、説明を作らないことを大切にしています。
そのため、「尾の先が風にほどけるように観えます。ただ、どこまで続いているのかは観えません」とお伝えしました。曖昧なものを曖昧なまま伝えると、答えとして足りないように感じることもあります。それでも、観えなかった境界を言葉で描き足すことはできません。
境目がはっきりしない時間
日常にも、終わったのか続いているのか、すぐには決められない時間があります。気持ちが少し変わったとき、習慣が自然に減ってきたとき、以前ほど気にならなくなったとき。そこに明確な区切りがないこともあります。
そのような曖昧さにいると、私たちは早く名前を付けたくなります。「もう終わった」「まだ手放せない」と決めれば、分かりやすくなるからです。けれど、名前を急がずに過ごすほうが、自分の感覚を静かに確かめられる場合もあります。
特別な意味を探さず、今日は少し薄く感じる、とだけ気づいておく。明日も同じかどうかを約束しない。そのくらいの距離で眺める時間があってもよいのだと思います。
尾の先を追い続けない
龍の尾は、しばらく風の中で揺れていました。私は見えなくなる場所を確かめようとしていましたが、追うほど目に力が入り、かえって全体が見えにくくなりました。
そこで尾の先から意識を外し、龍の姿全体へ戻しました。すると、頭や胴は変わらず静かに進んでいるように観えました。尾の境目について新しい答えが得られたわけではありません。ただ、分からない一点だけが龍のすべてではないと気づきました。
やがて龍は雲の奥へ入り、姿全体が薄くなりました。尾が消えたのか、風景へ続いていたのかは、最後まで観えませんでした。
観えない先を追い続けず、観えているところへ戻る。龍の尾が風にほどけて観えた日は、その静かな戻り方を覚えていたいと思った日でした。