「非ず」という名の壁の前で
「這々の体(ほうほうのてい)」という言葉があります。身も心も疲れ果て、ようやくのことでその場を離れるような、そんな痛々しい有様を表す言葉です。私にとって、この言葉は決してどこか遠くの他人事とは思えません。私は、反復性うつ病性障害という病を抱えて生きています。調子の良いときには、病のことなど忘れてしまうほど普通に過ごせる日もあります。けれど、再び調子を崩したときには、「なぜ自分はこんなにも動けないのだろう」と、深い戸惑いに襲われてしまうのです。昨日までできていたことが、今日はできない。起き上がることさえも一大事業のように感じられます。外へ出ること、人と話すこと、仕事へ向かうこと。その一つひとつが、まるでそびえ立つ高い壁のように目の前に立ちはだかります。頑張ろうという意志はあっても、そのためのエネルギーそのものが底をついてしまっている。そんな這々の体で、なんとか一日を終えるだけで精いっぱいの日があります。何か大きなことを成し遂げたわけではない、ただ生き延びるためだけに息をした、そんな一日です。しかし、社会に目を向けると、もう一つの容赦のない言葉が私の前に立ちはだかります。それが「非正規雇用」という言葉です。雇用形態を表す制度上の言葉であることは重々承知しています。それでも、「非正規」という言葉に含まれる「非」という一文字が、私の胸を深く突き刺します。「非」とは、そこに「あらず」ということ。まるで「正規ではないもの」「正しいものではないもの」と、存在そのものを否定されているかのように響くのです。病にエネルギーを奪われ、文字通り「這々の体」でなんとか社会の片隅にしがみついているとき、こ
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