「わかろう」と「理解したい」の違い。
日常の中で、「腑に落ちた」と思っていたことなのに、気づけばまた忘れて、同じところをぐるぐるしていることがある。その一つが、私の中にある「わかろう」とする感覚だった。「なんでこの人はこんな言い方をしたんだろう?」「疲れていたのかな?」そうやって相手の中へ入っていく。そして、さらに「わかってあげたい」という気持ちが湧いてくる。相手に気分よくいてほしい。事情があるのかもしれない。悪者にはしたくない。そんな思いから、無意識に「じゃあ、私が合わせよう」となってしまう。その時は、自分の違和感を後回しにしていることが多い。だから、あとからモヤモヤする。これは、長年、生きていくために身につけた癖。この感覚があったからこそ学べたことも、成長できたこともたくさんある。だから私は、この癖を悪者にはしていない。ただ、ぐるぐるするときは、だいたいこのパターンだった。最近は、少しずつ立ち止まって自分の感覚を感じられるようになってきた。すると、「わかってあげたい」から「理解したい」へと変わってきた気がする。それは、相手だけではなく、出来事全体を眺めるような感覚。「この人はこういうタイプなんだな。」「私はこの対応に違和感を感じた。」「私はこっちのほうが心地いい。」相手も、自分も、どちらも含めて状況を理解する。そして、「私はどうしたい?」と、自分で選べる。いつも自分を真ん中に置いたまま。その違いが少しずつ体感でわかるようになって、自然と心地よく過ごせる日が増えた。……とはいえ、また気づけば忘れて、ぐるぐるしている日も来るのかもしれない。笑でも、そのたびに思い出せばいい。そんな私が、今、一番理解したいと思っている
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