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「わかろう」と「理解したい」の違い。

日常の中で、「腑に落ちた」と思っていたことなのに、気づけばまた忘れて、同じところをぐるぐるしていることがある。その一つが、私の中にある「わかろう」とする感覚だった。「なんでこの人はこんな言い方をしたんだろう?」「疲れていたのかな?」そうやって相手の中へ入っていく。そして、さらに「わかってあげたい」という気持ちが湧いてくる。相手に気分よくいてほしい。事情があるのかもしれない。悪者にはしたくない。そんな思いから、無意識に「じゃあ、私が合わせよう」となってしまう。その時は、自分の違和感を後回しにしていることが多い。だから、あとからモヤモヤする。これは、長年、生きていくために身につけた癖。この感覚があったからこそ学べたことも、成長できたこともたくさんある。だから私は、この癖を悪者にはしていない。ただ、ぐるぐるするときは、だいたいこのパターンだった。最近は、少しずつ立ち止まって自分の感覚を感じられるようになってきた。すると、「わかってあげたい」から「理解したい」へと変わってきた気がする。それは、相手だけではなく、出来事全体を眺めるような感覚。「この人はこういうタイプなんだな。」「私はこの対応に違和感を感じた。」「私はこっちのほうが心地いい。」相手も、自分も、どちらも含めて状況を理解する。そして、「私はどうしたい?」と、自分で選べる。いつも自分を真ん中に置いたまま。その違いが少しずつ体感でわかるようになって、自然と心地よく過ごせる日が増えた。……とはいえ、また気づけば忘れて、ぐるぐるしている日も来るのかもしれない。笑でも、そのたびに思い出せばいい。そんな私が、今、一番理解したいと思っている
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そのままの私(受け入れ途中)

先日、おしゃべりセッションをしたお客様の言葉に、とても心が緩んだ。 「カウンセラーの方の前だと、素の自分が出せなさそうだったから」そう言って、私のところへ来てくださったそう。その瞬間、“そのままの私に価値がある”そう肯定してもらえた気がして、胸が熱くなった。私は昔から、劣等感の塊だった。なんだか人生がいつも中途半端な気がしていた。実際、看護短大は中退していて、持っている准看護師という肩書きにも、どこか引け目を感じ続けていた。だからいつも、条件付きの価値を求めてしまう。もっと資格があれば。もっと実績があれば。もっとちゃんとしていたら。そうやって足そうとしてきた。でも、そのたびに身体が動かなくなったり、状況が変わったりして、「目標達成しない」までがセットだった。そんな私が、自分の感覚を感じることを少しずつ覚えていく中で、“ない”ではなく、“ある”を体感できるようになった。すると、自分の内側だけじゃなく、現実の中にも”ある”が見えるようになってきた。気づけば、自分の中に一本の軸のようなものが育っていた。その頃から、昔からよく相談を受けていた「おしゃべり」が、自然とセッションという仕事になっていった。すると今度は、「カウンセラーの資格があった方がいいのかな」という気持ちが湧いてきた。 信用されたい。ちゃんとしなきゃ。仕事なんだから。 そんな思いが次々に顔を出す。でも、そのたびに心のどこかで聞こえてくる声があった。「今、求めてくれている人は、資格のある私じゃなくて、今の私なんじゃない?」 そう受け止めながらも、私は怖かった。肩書きも資格も持たずに、人と向き合うこと。何も着飾らず、防御もせ
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