「安心」と「薬壺」が教えてくれること―21年のうつ病闘病と、サカナクション山口さんの言葉から考える「受け入れ」の処方箋
薄暗い本堂で仏像と向き合うとき、私はいつもそのお姿のなかに、深い知恵を見出そうとしてしまいます。 なかでも、病気や心身の苦しみから人々を救うとされる「薬師如来」には、とても分かりやすい特徴があります。 それは、左手のひらに小さな「薬壺(やっこ)」を乗せていることです。万病に効く霊薬が入ったこの器こそが最大の目印。 そして、もう一方の右手は胸のあたりに掲げ、手のひらをこちらに向けています。これは「施無畏印(せむいいん)」と呼ばれ「恐れなくてよい」という安心のサインを示しているのだそうです。 仏教における他の有名な仏様――たとえば阿弥陀如来などは、私たちが旅立ったあとの「死後の世界(極楽浄土)」で人を救うことで知られています。 それに対して、薬師如来のまなざしは常に、私たちが「今生きているこの世界(現世)」に向けられています。生きている間の病や飢え、苦しみから今すぐ救い出すという強い誓いを持ったそのお姿は、仏の世界における、まさに「医療従事者」と言えるのではないでしょうか。 つまり、偉大な仏様であっても、奇跡のような加持力(かじりき)(念力)だけで病を消し去るわけではありません。最前線の医師や薬剤師のように、きちんと「お薬」を携えていらっしゃるのです。 そのお姿を見つめていると、ひとつのロジックが浮かび上がってきます。 右手が示す「安心しなさい」という薬師如来の想いは、まずは心身をリラックスさせ、今そこにある病を「受け入れなさい」と促しているのではないでしょうか。 そして、心が少し落ち着きを取り戻したところで「さあ、左手にあるお薬を飲みなさい」と、治療の手を差し伸べている。そ
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