『名前の唄』を書いている時に起きたこと
今回は、「『名前の唄』を書いている時に起きたこと」についてお話してみたいと思います。前回の記事で、私は「名前の唄は、名前の声を聴くことから始まる」と書きました。毎日さまざまな名前と向き合っていますが、いつも感じるのは、一つとして同じ名前はないということです。それは例え漢字が同じものであっても、変わってくるのです。それはまるで、一人ひとりの人と出会うことに似ています。名前の唄を聴き、言葉を探し、詩へと編み上げていく時間は、その名前と仲良くなっていく時間だったのだと、作品をお渡しする時に思います。不思議なことに、作品をお渡しする頃には、ご本人より、その名前と仲良くなってしまったと実感するかのように、名前の想いを少しでも伝えたいと思ってしまうからです。それは、子供の名前の注文をしてくれた名付けの本人である親御さんにでさえ、名前が名付けのタイミングで親御さんの元に来ることになったものとして話したくなるからです。その名前がどんな景色を抱き、どんな願いを持ち、どのように持ち主に寄り添ってきたのか。名前の声に耳を澄ませ、作品の形に出来上がった時に、自然とこれだという確信を持てているのです。それは、名前がちゃんと知っていて、名前の唄が教えてくれた景色に確かな信用をもって、詩を書くからです。名前はその人が今いる場所も、これから向かう場所も。その歩みを、ずっと見守りながら共に歩いている道も、知っているからです。私は詩を書いた日付や、生まれた日などを作品の中に印として刻みます。けれどカードとして仕上げる過程で、日付や画像が意図しないものに変わっていることがあるのです。もちろん、操作ミスやシステム上の
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