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『ココナラ新時代/タイミング』

ある人と、関わってみようと思った瞬間があった。好きだったから動いたわけじゃない。ただ、動かずにいられなくなった。 心の器が満ちて、考えるより先に身体が動いた。好きになったのは、そのあとの話。タイミングは、結果を約束しない。ただ、動き出す瞬間を作る。そもそも、私たちがよく口にするあの言葉って、一体なんなんだろう。「タイミングが合わなかった」と言うとき、私たちはまるでタイミングが空中に漂っていて、それを掴み損ねたかのように話す。「今がそのタイミングだ」と言うとき、まるで外側の何かが「今だよ」と教えてくれたかのように。でも、本当にそうだろうか。 タイミングって、外側にあるものなんだろうか。私はずっと、タイミングは「内側で満ちるもの」だと思っている。心の中に、器がある。目には見えないけれど、確かにある。そこに、日々の感情が少しずつ溜まっていく。「やってみたいな」という小さな憧れ。 「このままじゃ嫌だ」という静かな焦り。 「変えたい」というまだ言葉にもなっていない衝動。それらは雫になって、音もなく、器の底に落ちていく。自分では気づいていない。溜まっていることにさえ気づいていない。そしてある日、最後の一滴がぽつんと落ちたとき。表面張力を失った器から、一気に、堰を切ったように溢れ出す。「あ、もう、今だ」理屈じゃなく、心が完全に納得して、身体が勝手に動き出してしまう。そんなふうに、自分だけにしか分からない、静かなゴーサインなのだと思う。けれど、面白いのはここからで。自分の器が満ちて溢れたその瞬間、視界がパッと開けて、不思議なことが起こり始める。これまで自分が何気なく打ってきた、一見バラバラだっ
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『ココナラ新時代/やじるしの向き』

私は方向音痴ではありません。地図を見れば現在地がわかります。東に進むべきか、西に向かうべきか、迷うことはありません。知らない街でさえ、スマホを見るより先に足が正しい方向を向いてくれる。だから、余計にしんどいのかもしれません。 自分の気持ちの向きだけが、どうしてもわからない。誰かのことを考えている。それはわかる。ふとした瞬間に浮かんでくる。それもわかる。けれど、その矢印がどこを向いているのか──好意なのか、依存なのか、それとも、ただの習慣なのか。地図を読むように確かめる術がない。地図には北がある。でも感情に北はない。あるいは、天動説と地動説が同時に存在して、同時に走っているような感覚。自分を中心に相手が動いているような感覚と、抗えない重力に引かれる感覚。どちらが正しいかじゃなくて、その両方が、本当のこととして同時に存在していて。矢印は、見る場所によって向きを変えます。自分から見ているのか、相手から見ているのか。それだけで、一本の線の意味が変わってしまう。だから、向きがわからないのではなく、まだ「向き」そのものが、定まっていないだけなのかもしれない。渦の中にいると、自分が動いているのか、世界が動いているのかが、わからなくなります。向きどころか、動いているのかどうかさえ心許ない。進んでいるのか、留まっているのか。それとも、静かに遠ざかっているのか。「渦中」というのはきっとそういうもので、外に出てはじめて「ああ、あの時こっちを向いていたんだ」と気づく。矢印の向きは過去形でしか答え合わせができないのかもしれない。だから、今はわからないまま、ここにいます。地図は読めます。でも自分の矢印だけ
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