私は方向音痴ではありません。
地図を見れば現在地がわかります。東に進むべきか、西に向かうべきか、迷うことはありません。知らない街でさえ、スマホを見るより先に足が正しい方向を向いてくれる。
だから、余計にしんどいのかもしれません。 自分の気持ちの向きだけが、どうしてもわからない。
誰かのことを考えている。
それはわかる。
ふとした瞬間に浮かんでくる。
それもわかる。
けれど、その矢印がどこを向いているのか──好意なのか、依存なのか、それとも、ただの習慣なのか。地図を読むように確かめる術がない。
地図には北がある。でも感情に北はない。
あるいは、天動説と地動説が同時に存在して、同時に走っているような感覚。
自分を中心に相手が動いているような感覚と、抗えない重力に引かれる感覚。どちらが正しいかじゃなくて、その両方が、本当のこととして同時に存在していて。
矢印は、見る場所によって向きを変えます。自分から見ているのか、相手から見ているのか。それだけで、一本の線の意味が変わってしまう。
だから、向きがわからないのではなく、まだ「向き」そのものが、定まっていないだけなのかもしれない。
渦の中にいると、自分が動いているのか、世界が動いているのかが、わからなくなります。
向きどころか、動いているのかどうかさえ心許ない。進んでいるのか、留まっているのか。それとも、静かに遠ざかっているのか。
「渦中」というのはきっとそういうもので、外に出てはじめて「ああ、あの時こっちを向いていたんだ」と気づく。矢印の向きは過去形でしか答え合わせができないのかもしれない。
だから、今はわからないまま、ここにいます。
地図は読めます。
でも自分の矢印だけは、誰も──自分自身でさえ、どこを指しているのか教えてくれません。
それでも、矢印はどこかを向いていて、私も世界もまだ回っています。
今回のブログは、和服のななこさんが考えてくれた企画です。
素敵な企画に参加できてとってもうれしい!
ななこさんありがとう♡
" 同じタイトルで、それぞれ自由にブログを投稿 "
#やじるしの向きで検索すると、今回の企画に参加しているみなさんのそれぞれの「やじるしの向き」が読めますよ♪
ななこさんの企画説明や他の人の投稿を読んで、参加してみたくなった方は自由に書いていいんですよー。書いてくれる人がたくさんいるとうれしいなー。
みんな違うからこそ、おもしろいんだよ。