絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

3 件中 1 - 3 件表示
カバー画像

何を覚えているのか。どうして今なのか。

陽菜の指先が、ほんの少しだけ、こちらに向いた。呼ぶほどでもない。でも、気づかないふりはできないくらいの動き。凪の足が、もう一歩だけ前に出る。砂の上で、小さく音がした。その音に、陽菜の視線がわずかに揺れる。逃げるでもなく、受け止めるでもなく。ただ、そのまま。距離が、少しだけ縮まる。それだけで、空気の密度が変わる。言葉を探そうとして、やめる。今は、いらない気がした。代わりに、呼吸がそろう。同じ速さで、吸って、吐いて。それだけで、さっきまでの遠さが、少しずつほどけていく。ブランコが、もう一度だけ鳴る。陽菜が、目を伏せた。ほんの一瞬。それから、また顔を上げる。「……来たね」小さな声。凪は、うなずく。声にすると、壊れそうで。でも、伝わってほしくて。「……うん」それだけ。沈黙が、すぐに戻る。でもさっきまでの沈黙とは、少し違う。逃げ場としての静けさじゃなくて、置いておいても大丈夫な静けさ。陽菜が、ブランコに手をかける。鎖が、軽く揺れる。「ここ、覚えてる?」振り返らずに言う。凪は、少し考えてから、うなずく。「……うん。たぶん」はっきりしない返事。でも、陽菜は、それでいいみたいに、小さく笑った。「わたしは、ちゃんと覚えてる」その言葉だけが、少しだけ重く落ちる。凪の胸が、また静かに鳴る。何を覚えているのか。どうして今なのか。聞こうとして、やめる。まだ、そこまで踏み込まないほうがいい。そんな気がした。陽菜が、ブランコに座る。きい、と音がして、ゆっくり前に揺れる。ほんの少しだけ。子どもみたいに強くは蹴らない。ただ、体重を乗せただけの揺れ。「ね」揺れながら、言う。「さっきの続き、ここでしてもいい?」凪は
0
カバー画像

言葉にならなかった部分。 それが、今、ここにある。

街灯の光が、すこしだけ色を持っていた。あたたかいようで、どこか冷たい。夜の公園は、音が少ない。遠くで車が通る気配と、ブランコの鎖が、かすかに揺れる音だけ。凪は、立ち止まった。ポケットの中の指先に、まだ体温が残っている。さっきまで握っていたスマートフォンの感触。あの声。あの間。ゆっくり、顔を上げる。そこに、いた。陽菜は、ブランコの近くに立っていた。照明の下で、輪郭がやわらかく浮かんでいる。思っていたより、近くて。思っていたより、遠い。風が、二人のあいだを通り抜ける。髪が、ほんの少しだけ揺れた。目が合う。それだけで、時間が止まったみたいだった。ああ、ちゃんと来たんだ。誰も言っていないのに、そんな言葉が、空気の中に落ちた。凪は、ほんの一歩だけ、足を動かした。でも、それ以上は進まない。陽菜も、動かない。ただ、見ている。少しだけ、泣きそうな顔で。でも、笑いそうでもあって。どっちとも言えない、その表情。凪は、視線を逸らさなかった。怖くない、とは言えない。でも、逃げたくない、とも思った。さっきの電話で、確かに触れたもの。言葉にならなかった部分。それが、今、ここにある。ふたりの間に。ブランコが、きい、と小さく鳴る。風のせいか、陽菜の手が、少しだけ動いた。それだけで、凪の心が、かすかに揺れた。近づくでもなく、離れるでもなく。ただ、立っている。それなのに、何かが、確実に変わっていく気配がした。夜は、静かに深くなる。そして、まだ何も始まっていないのに、もう、戻れないところまで来ている気がした。
0
カバー画像

今から、少しだけ外に出られる?

通話の向こうで、陽菜が小さく息を吸う。「じゃあさ」その一言で、空気が変わる。「今から、少しだけ外に出られる?」凪の指が止まる。「え……今?」夜。部屋。さっきまでの“安全な距離”。全部が、一瞬で揺れる。でも、陽菜は続ける。「5分だけでいい」やわらかい声。でも、逃がさない。「同じ空気って言ったじゃん」少し間。「ほんとに、同じとこで感じてみない?」凪の心臓が、大きく鳴る。怖い。でも。逃げないって、決めた。凪は立ち上がる。パーカーを羽織って、ドアに手をかける。「……出る」短く。でも、ちゃんと前を向いた声。陽菜が、少しだけ笑う。「いいね」その声が、背中を押す。凪は、静かな廊下を抜けて外へ出る。夜の空気。少し冷たい。心が、はっきりしていく。「どこ?」凪が聞く。陽菜は、すぐに答える。「学校の近くの公園」あの場所。今日の続きが始まった場所の、少し先。「先に着いたら、ブランコね」軽く言う。でも、意味は重い。「ちゃんと見るって言ったでしょ?」凪の胸が、また鳴る。「……うん」歩き出す。夜道。街灯。静けさ。でも――もう一人じゃない。同じ方向に、同じ速度で、もう一人も動いている。凪は、少しだけ笑う。(ほんとに、来るんだ)その気持ちが、少しだけ嬉しい。そして、止まりかけていた物語が、一気に“動き出す”。
0
3 件中 1 - 3