あの頃、出版業界は“夢の産業”だった。バブルの残り香の中で働いていた頃の話
「昔の出版業界って、そんなに儲かっていたんですか?」
若い人からよく聞かれる質問です。
今の出版業界は厳しい。売上は下がり、雑誌は次々と休刊し、広告費も減っている。
だからこそ今日は、そういう現実はいったん忘れて、
出版業界がまだ夢と花に満ちていた頃の話をしたいと思います。
もう25年以上前の話なので、そろそろ時効でしょう。
雑誌は50誌以上。広告は「断るのが仕事」
私が最初に入社したのは講談社でした。
配属は雑誌広告の営業部。
その頃の講談社には、雑誌が50誌以上ありました。
女性誌、男性誌、週刊誌、漫画雑誌、児童誌。
『FRIDAY』
『週刊現代』
『Hot-Dog PRESS』
『コミックボンボン』
『たのしい幼稚園』
『ViVi』
『with』
数えればきりがないほど、どの雑誌も輝いて見えました。
そして何より、広告がものすごかった。
たとえば女性誌『with』。
部数は約60万部。
1ページの広告料金は250万円。
それでも広告を出したいスポンサーが山ほどいた。
「withは広告を断るのが仕事」
そんなふうに言われていました。
1号で約5億円の広告収入。
極端な話、雑誌が1冊も売れなくても利益が出る構造です。
今から考えると、まるで別世界の話です。
成績ゼロの営業が、突然売れ始めた理由
ただし、最初からうまくいったわけではありません。
入社して最初の2年間、私はほとんど成績がありませんでした。
いわゆる鳴かず飛ばず。
ところが3年目、急に広告が決まり始めます。
電通などの広告代理店から案件が入り、
クライアントもどんどん増えていく。
気がつくと社内では
「みやがわに頼
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