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幼稚園の入園式で自分だけ迎えが来なかった日から、ずっと探していたもの

「理由は分からないのに、心だけは覚えている」 大人になってから、ふとした拍子に胸がざわつくことがあります。 誰かに責められたわけでもないのに、置いていかれた気がする。安心して甘えていい場面なのに、なぜか先に空気を読んでしまう。——そんな感覚に覚えがある人は、きっと少なくないと思います。 心って不思議で、出来事の細部は曖昧になっても、「あのとき感じたこと」だけは、ずっと鮮明に残ります。 今日は、僕がなぜ編集の仕事を楽しんで続けてきたのかを、自分なりに言葉にしてみます。たぶん、その根っこには、幼い頃の記憶があるからです。 幼稚園の真ん中で、木の椅子に座って泣いていた 物心がついた最初の記憶は、幼稚園の入園式です。集合写真を撮って、みんなはお母さんに手を引かれて帰っていく。 でも、僕の母はそこにいませんでした。 当時四歳。幼稚園の真ん中で、ぽつんとひとり、木の椅子に座って大泣きしていた。 「迎えが来ない」という状況そのものより、胸の奥に広がっていく感覚——自分だけが世界から取り残されたような感覚を、身体が覚えている。 その後、母は迎えに来ました。 なぜ遅れたのか、理由は母が亡くなった今となっては分かりません。分からないままだからこそ、記憶は“物語”にならず、“感情”として残ったのだと思います。 「ここでわがままを言ったら、家が壊れる」 小学校低学年の頃、兄が不登校になり、家で暴れるようになりました。しばらくその状態が続いた。 幼い僕は、なぜかはっきり思っていたんです。 「ここで自分がわがままを言ったら、この家族は完全に壊れる」 今思うと、僕の心の原点はここで作られたんだと思います。
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